点と点を結ぶ庭園街道。豪農の館、関川村「渡邉邸」へ
新潟には、大地主の邸宅が数多く残り、公開されているという。そういった大邸宅がここ村上を通る国道290号線に沿って、5軒ほどある。この国道沿いには、ほかにも迎賓館や殿様の下屋敷、茶寮、お寺など、伝統的な日本庭園を持った多くの歴史的建造物が並んでいて、「にいがた庭園街道」と呼ばれている。
大地主と聞いても私にはあまりぴんとこなくて、また、その邸宅の敷地が八千坪だとか六千坪だと聞いても、もっと想像しづらい。そのすごさを、関川村にある「渡邉邸」にいってはじめて理解し、あらためて度肝を抜かれた。
重要文化財に指定されている渡邊邸は、回船業や酒造業、新田開発で財をなした渡邉家のお邸で、1817年に建てられたものだ。入り口から全体を見ると、美術館とか博物館という規模の大きさで、個人宅とはとても思えない。
外観から、広い家だとわかっていても、なかに入るとその広さにやっぱり驚いてしまう。入ってすぐの母屋は、米俵を積んだ馬車がそのまま入ることができたという土間、土間に面して、茶の間、中茶の間、台所とつながっている。その奥に大広間があり、庭園が広がっている。
無節の柱や、天井の松の梁など、大きくて立派なものばかりに目がいってしまうが、でもこのお邸には、細部にまで手の込んだ「仕掛け」がちりばめられている。
たとえば釘隠しの金具だ。コウモリだったりうさぎだったり、部屋ごとに金具のかたちが違うのである。この広いお邸に、ひとつだけ、桃のかたちをした釘隠しがあるというのも心憎い。
床材の、傷んだ木の補修に、鯉のかたちの木をはめこんで池のように見立てた箇所もある。北斗七星が彫ってある欄間もある。江戸時代の、本当のお金持ちと、その当時もっとも腕のいい大工さんによる仕事だ、と案内してくれた〈重要文化財渡邉家保存会〉事務局長の井浦慎一郎さんに教わったが、成金趣味でも派手好みでもないのが、なんともかっこいい。説明を受けなければ見過ごしてしまうようなところに、気の遠くなるような趣向が凝らしてある。
それは庭にしてもおなじだ。大広間の、座る位置によって庭の見えかたがまったく違う。まるで仕掛け絵のように、庭のなかに鶴がいたり亀がいたり、沼に見立てられた場所があったりする。池を結界として、向こう側を極楽浄土に見立てていると聞けば、なるほどと深くうなずく。広間の出入り口近くに座り、柱の向こうに庭を眺めれば、なるほど、庭が屏風絵に見えてくる。
もしこのお邸を訪ねることがあったら、ぜひ、係の人に説明をお願いしてほしい。愛情に満ちたこまかな説明を聞くたびに、思わぬ新発見があり、見学している時間は興奮しっぱなしの至福の時間を過ごすことができる。
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渡邉邸を出て庭園街道を走る。両側に田んぼが広がり、それがずーっと地平線まで続いている。稲の実った金色の田と、刈り取ったばかりの薄茶色の田とが入り交じって続いていて、しずかな抽象画のようなうつくしさで、単調な景色なのに見飽きることがない。
その田んぼのなか、ふとあらわれた「蕎麦」ののれんを見つけ、へぎそばを食べた。親戚の家のような座敷席に座る。開け放たれたガラス戸の向こうに、どこまでも続く田んぼが見える。人の手の入らない自然の光景だけれど、まるで今見てきた日本庭園のようだ。
旅を終えて新幹線に乗りこむと、数時間前に立ち寄ったあのおそば屋さんは、なんだかしあわせな夢だったみたいに思えてくる。
Profile 角田光代
1967年神奈川県生まれ。作家。『幸福な遊戯』で第9回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』で132回直木賞、『八日目の蟬』で第2回中央公論文芸賞受賞。現在刊行中の日本文学全集『源氏物語』(河出書房新社)の訳を手がける。旅にまつわるエッセイも多数。
credit text:角田光代 photo:ただ(ゆかい)