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新潟市風/ふうど2023.02.15

人と潟の関係性をつなぎ直し、地域をデザインする

「#新潟のコメジルシ=新潟のいいところ」ってどんなところ? 
「だから新潟!」と、新潟を選びたくなるいろんな理由を新潟の人たちに聞いてみました。

松浦柊太朗 さん

松浦柊太朗 さん
新潟市出身。鳥屋野潟のほとりにあるデザイン会社〈U・STYLE〉のディレクター。大学まではサッカーに没頭。学生時代に過ごした東京・下北沢に影響をうけ、表現活動やデザイン、その器となるまちに関心を持つ。「文脈から未来をつくるデザイン」をテーマにデザイン活動を行い、ファミリービジネスのデザインに関心を持っている。

https://u-style-niigata.com/
https://twitter.com/MatsuuraShutaro

都市のまんなかにある大きな潟〈鳥屋野潟〉

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新潟駅から車で10分ちょっと。街の中心にあるにしては大きな湖沼〈鳥屋野潟〉にたどりつきます。この湖沼のある地域が、僕が暮らし働く場所です。

〈鳥屋野潟〉に人が住み始めたのは、約380年前(寛永17年/1640年)。加賀国(現在の石川県)からやってきた農民8人衆によって開拓されたことで、鳥屋野潟と人の接点は生まれました。

ちなみに、この潟のほとりに位置するデンカビッグスワンスタジアムがある〈清五郎〉という地名は、この8人衆のうちの一人の名前。一番最初に亡くなった方を偲んで地名にされたと言われています。

人や社会からの影響を受けつづけた潟

鳥屋野潟は人や社会の変化によって、その環境や社会的認識が右往左往してきた潟です。

昭和30年代中頃までは、湖底が見えるほど透き通った美しい潟だったそうです。その水を飲み、泳いで遊び、魚をとって暮らした、恵みの潟でした。

当時の主な移動手段は舟。潟につながる堀がいくつもあり、沼垂の〈蒲原まつり〉にも栗ノ木川を通って舟で遊びに行ったといいます。

昔の鳥屋野潟を知る潟の漁師さんに話を聞けば「学校の勉強はしねかったけど、生きる術は全部鳥屋野潟から学んだんだ」と語ってくれます。

決して裕福な暮らしではなかったかもしれませんが、美しい潟の恵みを受けとりながら暮らした当時を知るほどに、潟と人の豊かな関係性が目に浮かんできます。

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漁師の〈板合わせ舟〉(木でつくられた舟)
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鳥屋野潟周辺で食べられていた潟魚料理(再現)。かつては米より魚の方が高く売れていた。

昭和の高度成長の時代になると、下水道整備がされないまま進められた宅地開発によって、生活排水はすべて鳥屋野潟に流れ込んできました。合成洗剤が普及してからは、風が吹けば潟が泡立っていたそうです。

一時は水質が*全国ワースト3位ともいわれる程になった鳥屋野潟。多くの生物にとっても住める環境ではありませんでした。環境が悪化した鳥屋野潟からは、人も離れていきました。

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写真提供:石澤徳治さん

その後、インフラ整備が進むとともに、住民や漁業協同組合の地道なゴミ拾い活動なども続けられ、潟の環境は改善。2002年には環境基本法の水質基準をクリアし、今では絶滅危惧種などの希少種の生息が確認されるほど生態系も豊かになりました。

潟の魚も安全においしく食べられるようになり、地元の小学校では給食のメニューに取り入れられるところも出てくるようになりました。

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漁をする鳥屋野潟の漁師

潟と人の関係性をつなぎ直す

潟の変遷をたどってみると、良い時代も悪い時代も人や社会の影響を大きく受けていることが見えてきます。この地域がよりよくあるためには、潟と人が良い関係性でつながっていることが大切。そこで、鳥屋野潟を拠点にデザインのお仕事をする僕たちは、「潟と人との関係性をつなぎ直す地域デザイン」に取り組んでいます。それは歴史や文化の継承であったり、魅力を体験できる場づくりであったり、情報発信であったり、手法はさまざまです。

たとえば、〈潟マルシェ〉というローカルマーケットの開催。場をつくることで鳥屋野潟に足を運んでもらい、鳥屋野潟を知ったり体験できたりするきっかけをつくっています。

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鳥屋野潟のほとりで開催している〈潟マルシェ〉
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潟マルシェ内のアクティビティ〈漁師の板合わせ舟体験〉
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潟マルシェ内の鳥屋野潟自然観察会〈Nature Trip〉

2020年から始めたアクティビティ〈TOYANOGATA PICKNIC(ピックニック)〉は、鳥屋野潟で舟に乗りながら潟に流れつくゴミを拾うアクティビティです。自然や景色を楽しみながら、身近な暮らしや環境を考えるきっかけにもなっています。

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さらに、1年に1冊僕たちが発行している『潟ボーイ’s』『潟ガール’s』という冊子は、地域のおじいちゃんやおばあちゃんに話を聞いて歴史をまとめたり、鳥屋野潟で今起こっていることをまとめたりしている語り継ぎ本。地元の小中学校などで地域学習の教材としても使われています。

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このように、鳥屋野潟で活動をするなかで地域が変わっていく手応えを感じたり、新たな課題が見えてきたり。
うまくいくことばかりではないですが、「潟と人の関係性をよくしたい」と取り組むなかで知る鳥屋野潟の文脈や、鳥屋野潟に思いを寄せる人々との出会いが、僕自身と鳥屋野潟との関係性も良くしてくれているのだと思います。

*出典:
市報新潟 昭和58年11月27日
http://opac.niigatacitylib.jp/shisei/koho/shiho/1983/831127/pdf/874_2.pdf


編集部コメント

これまで鳥屋野潟に縁のなかった私は、あまり良い印象を持っていなかったというのが本音…。まさか、鳥屋野潟で食材まで収穫できるなんて、驚きです。「人と潟をつなぎ直す」「地域をデザインする」という松浦さんの地域活動は、まさに私のような県民の鳥屋野潟に対するイメージのアップデートに繋がる取り組みですね。今あるものに少しのデザインや切り口を加えることが、今後更なる新潟の魅力創出に繋がっていくのではないでしょうか?(金澤)