100周年を迎えた〈大河津分水〉って、ナニ?
「#新潟のコメジルシ=新潟のいいところ」ってどんなところ?
「だから新潟!」と、新潟を選びたくなるいろんな理由を新潟の人たちに聞いてみました。
今回は、第5回となるコメジルシ編集会議に参加いただいた、〈月刊にいがた〉の中島さんが思う「#新潟のコメジルシ」記事が公開! 第5回コメジルシ編集会議の様子は、こちらからご覧ください。
▶︎前半:https://www.instagram.com/tv/ClqWLhIK3kF/
▶︎前半:https://www.instagram.com/tv/Clqc76Vq9Ab/
今から100年前、新潟は農業大国ではなかった
新潟と言えば… そうです、「お米」です!
でも、この豊かな越後平野もつい100年前までは鳥もまたいでしまうくらい品質の悪い〈とりまたぎ米〉しかとれない貧しい地域でした。
では、どうして農業大国になったのか。
遥か昔から越後平野へ流れる信濃川は、恵みとともに、長野県や魚沼地域といった広い流域に降った雨を集めて大きな洪水を引き起こしてきました。越後平野は日本海側を山と新潟砂丘に囲まれているため、信濃川の洪水は一度溢れると行き場を失い、越後平野を漂うことになりました。
1896(明治29)年 大洪水・横田切れ
この写真は、明治29年に現在の燕市横田地域で信濃川が決壊した大洪水〈横田切れ〉による氾濫の様子。今から127年前のこと。洪水発生から21日後、現在の新潟市西区の様子だそうです。
日本海側にある山地(国上山、弥彦山、角田山)と砂丘により逃げ場を失った水は、水上での避難生活を余儀なくさせただけでなく、赤痢などの疫病を引き起こし、1000名を超える命が奪われました。こんな環境では、農業水路を整備することはできません。つい100年前までは、腰まで水に浸かりながら、泥の田んぼで〈とりまたぎ米〉を細々と作るしかすべがない生活を送っていたのです。
山を切り拓く一大プロジェクト
度重なる水害を防ぐため分水の必要性を訴えた結果、明治政府が大河津分水の建設に着手。しかしそこには高さ100メートルクラスの山々が待ち構えていたのです。その山を切り拓くには、日本の技術だけでは太刀打ちできない…。そこでヨーロッパから先端技術を駆使した重機を輸入して、この難題に挑みました。また、大型の機械だけでなく、人力で土砂を運搬するトロッコも活躍しました。
工事の従事者は延べ1000万人。当時の日本の人口が4400万人であることを考えると、いかに多くの人々が大河津分水工事に関わったのか想像できますね。
1922(大正11)年 大河津分水通水で歓喜に沸く
大正11年、ついに日本海へと通水。大河津分水が通水してから、信濃川は一度も決壊していません。さらに、「3年に一毛作」と言われた農地は劇的に改善され、収穫量が2〜3倍に増えました。
また、大河津分水建設以降、上越新幹線や北陸自動車道をはじめ、平野部に交通網が発展し、平地に人々の営みが広がっていきました。新潟市を含む信濃川下流域の洪水リスクが減ったことから川幅が狭められ、新たに誕生した土地に〈新潟県庁〉や〈朱鷺メッセ〉などの大型施設が誕生。新潟市のシンボル〈萬代橋〉は、782mから307mに短縮されて半分以下の長さになったのです。
2022(令和4)年 大河津分水通水100周年
2022年8月25日、大河津分水が通水100周年を迎えました。大河津分水は異国の偉い人がつくったわけではなく、請願した人、工事に従事した人、大河津分水の歴史や役割を伝えようとした人、その多くは私たちの祖先。新潟に暮らす私たちに遺してくれた最高の贈り物、大河津分水の役割を未来へ伝えていくのは、今、ここで生活している私たちの役目であることを、この機会にみんなで考えたいなと…。
まずは、大河津分水や信濃川の歴史などを知ることができる〈信濃川大河津資料館〉へ行ってみてはいかがでしょう!?
大河津分水工事に使われていたトロッコの実物展示や、大河津分水がなかった場合の氾濫シミュレーションコーナー、大河津分水や信濃川にまつわるクイズも楽しめます。入場無料なので、ぜひどうぞ!
ちなみに、弊社では「あの山を拓く」という動画も制作しています。
ぜひご覧ください!
https://youtu.be/R_iMMbHyR4o
編集部コメント
みなさんは〈大河津分水〉を知っていますか? 私は少しだけ知っていましたが、編集会議時に中島さんから詳細のお話をお聞きしして、「大河津分水ってすげぇ!」と驚嘆しました。また、中島さんの大河津分水への愛を感じたのを覚えています。日本有数の穀倉地帯である新潟平野を形作ったのは、先人たちの努力や苦労あってのものなんだなと思います。大河津分水がなかったら、今の綺麗な新潟市の街並みはなかったのかも!? 地域の歴史を学び、伝えていくことは大切ですね。ご家族やご友人同士で、大河津分水や信濃川の歴史を学びに行ってみてはいかがでしょうか?(小日山)