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湯沢町風/ふうど2023.09.26

宿場町ならではの、オープンな雰囲気×雪国の人情

「#新潟のコメジルシ=新潟のいいところ」ってどんなところ? 
「だから新潟!」と、新潟を選びたくなるいろんな理由を新潟の人たちに聞いてみました。

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奥田将大 さん
東京都出身。SOUQ株式会社/SNOW SAFARI株式会社代表取締役。観光地域づくりマネージャー。
前職では、エネルギー企業にて中東エリアの事業開発に従事。UAE駐在時に日本の自然や伝統文化の特異性と価値に気が付いたことで、雪国文化が色濃く残る新潟県に2017年に移住し、観光事業にて起業。中東・インド向け観光プロモーションや、県内の古民家やリノベーション旅館の運営や観光DX事業(アプリ開発)を手掛ける。現在はWeb3により旅行者(多拠点居住者・デジタルノマド)と地域を繋ぐWebサービス<FOUNDEE><空き家DAO>を立上げ中。

https://www.snowsafari.jp/
https://souq-hub.co.jp
https://www.facebook.com/okuda.masa

三国街道の宿場町として栄えた湯沢

私の住んでいる湯沢町は、現在はスノースポーツのメッカとして、国内外の観光客で賑わう地域ですが、古くは越後と関東・江戸を結ぶ三国街道の重要な宿場町として大名行列や商人、佐渡金山に向かう人々などで賑わっていたそうです。

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大名行列や旅人、商人が行き交った街道跡

町内には浅貝・二居・三俣・湯沢と4箇所の宿場町があり、そのうちの一つである「二居宿」は三国山脈を超えていく旅人にとって重要な場所でした。
現在の「二居」エリアは本陣や脇本陣など幕府の役人や大名が宿泊した格式ある古民家や国道17号脇の旧街道にその面影を残していますが、私の今後の目標として古民家の一つを引継ぎ、三国街道の歴史や雪国文化・暮らしを体験できる施設に再生していきたいと構想しています。

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二居宿の脇本陣跡

中東のオアシス都市に似ている、雪国湯沢の人情

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越後湯沢に住んでいて感じるのが、「もてなしの文化」「助け合いの精神」が強いこと。これは、私がかつて住んでいた中東と同じ文化性だと感じています。
まずは、「もてなしの文化」。中東など砂漠の交易都市では、旅人が当地を訪れた際に、まず家に招き入れお茶を飲みながら情報交換を含めてゆっくりと話をする風習があります。
一方で気象条件は真逆ですが、雪深い宿場町の越後湯沢でも、同じような「もてなし文化」があると感じています。場所は違いますが、砂漠の交易都市も宿場町も、古来より旅人の往来があり、様々なバックグラウンドの人や情報が常に集ってきたからこそ、このような文化が生まれたのではないかと思います。

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そして、「助け合いの精神」。中東はご存知の通り砂漠が広がる地域で、とても過酷な環境です。現地に駐在していた時には、砂漠の中で立ち往生した際に地元の遊牧民に助けてもらったこともありました。
そのような精神性を新潟・湯沢でも感じます。世界有数の豪雪地帯である新潟・湯沢も過酷な自然環境。それゆえ、雪の中で立ち往生している車があった時に皆で助けたり、吹雪いている時に旅人を招き入れたりと、助け合いの精神が根付いています。
豪雪の冬は大変ですが、地元の方の自然への向き合い方や、助け合いの精神など、都会にはない感性に触れるにつれ、人生が豊かになるように感じます。

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海外の方と湯沢の雪原へ
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こんな体験も
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雪の中で食べる笹団子は格別です

このような雪国湯沢の文化を海外の方や、地元の若者や移住者にも知ってほしいと思っており、現在は宿やツアーの運営と共に、地域の文化や自然環境保護プロジェクトと観光客や移住者を繋ぐWebサービスを開発しています。今後、人口は減少しても日本中・世界中に雪国湯沢のファンがいて支えあうコミュニティが生まれることを目指して活動を続けます。


編集部コメント

越後と江戸を結ぶ三国街道の宿場町として栄えた湯沢町。当時の街道は、越後諸藩の大名行列を中心に、物流や交通の大動脈だったそうです。山間にありながらも旅人にオープンなマインドであるのは、昔からあらゆる地域の人々の交流が盛んだったからこそだと思います。今では観光地だけでなく、移住地としても注目される湯沢。奥田さんの「現代の宿場町を作りたい」という想いに、とてもワクワクしました。(小日山)