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糸魚川市歴/れきし2025.01.27

海の道と山の道。2つの道が交わる糸魚川は、過去と現在の交差点

「#新潟のコメジルシ=新潟のいいところ」ってどんなところ? 
「だから新潟!」と、新潟を選びたくなるいろんな理由を新潟の人たちに聞いてみました。

プロフィール

小竹優太 さん さん
糸魚川市出身、在住の写真家。日常的に撮りためた写真を用いて、空想の一歩手前にある感覚を表現する。新潟ではこれまでに個展『窓のとけのこり』展 (2022年6月、上古町の百年長屋SAN)や、『(祝祭)』展 (2023年8月、同)を実施のほか、2024年には『なおえつうみまちアート』内の企画にも参加。

https://www.instagram.com/otke_ytaa_

海と山に挟まれながら生きる街、糸魚川

写真を撮って表現する人間として、私は「道」に興味があります。道といえば、人が歩く道、車が通る道や列車が走る道など様々な形態がありますが、そのどれもが昨日や今日の突然にぱっと現れたわけではないことは想像に難くないと思います。私たちが日々利用する道にはそれをひらき、用いてきた先人たちの歴史が染み込んでいるのです。

そういうわけで、私が地元である糸魚川市の道について、すごいな、素敵だな、興味深いなと思っていることをお話ししたいと思います。

糸魚川市の特徴として、海と山の両方が人が住まうエリアに極めて近いことが挙げられます。例えば下の写真は糸魚川駅の新幹線ホームから撮影した写真なのですが、東京方面行きのホームから眺める景色と、金沢方面行きのホームから眺める景色は正反対の姿をしています。一方は商店街とその奥に広がる海の風景、もう一方は住宅街とその奥に連なる山々の風景です。人々は荒々しい日本海と、険しい山々との間のわずかな隙間で生活や交易を営んできました。そんなときに重要な役割を果たしてきたのが道という存在です。糸魚川には海沿いにも山間にも歴史的に重要な役割を果たしてきた道があります。

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そびえ立つ海岸の難所、親不知(おやしらず)

糸魚川地域について語る上で欠かせない重要な海の道は旧北陸道、その中でも特に親不知と呼ばれる断崖絶壁の海岸が連なるエリアです。北アルプスの山々がそのまま海に到達するこの地形により、親不知の浜辺は人が歩けるスペースに乏しく、さらには日本海の荒波がそこへ覆い被さるため、大昔にはこの場所を通り過ぎるのは文字通り命懸けのことでした。そんな時代ののち、崖の中にトンネルが掘られたり、海上から突き出るような高架がつくられたりして、徐々に徐々に親不知の交通環境は改善されていきました。

江戸時代には参勤交代で江戸と金沢を行き来する加賀藩の一行が何度もこの親不知を通るルートを用いています。北陸から日本海側を通って江戸へ向かうには必ず親不知を通過する必要があったのですが、先述の通りこの命懸けの道です。親不知通過の直前、直後にある糸魚川は宿場として重宝され栄えました。その際に加賀藩の本陣が置かれ、当主から「加賀」の名の使用を許可されたことに由来する加賀の井酒造は2016年の糸魚川大火により存続が危ぶまれましたが、その危機を乗り越え現在に至るまで酒造りが続けられています。

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親不知付近は現在国道8号、北陸自動車道やえちごトキめき鉄道日本海ひすいライン、北陸新幹線が通り、海岸に沿って入り組んだ道やその真上の高架、内陸のトンネルを抜けていく複雑な道のりが親不知の「難所」ぶりを現在も実感させてくれます。

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余談ですが、加賀の井酒造の隣には泉家という私が大好きなお蕎麦屋さんがあります。こちらもまた糸魚川大火を乗り越えた老舗で、オーソドックスなお蕎麦屋さんのメニューからうどん、ご飯物まで色々と楽しめるお店です。蕎麦メニューを食べる際には数量限定の手打ちそば(プラス150円)に変更するとより蕎麦の味を楽しむことができます。お昼から夕方過ぎまで休憩なしの通し営業なことも嬉しいポイントです。

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海と山を繋ぐ「塩の道」

糸魚川には歴史上重要な役割を果たした山の道もあります。それは「塩の道」として知られる千国街道です。先述の加賀の井酒造や泉家がある本町通り(旧加賀街道)を加賀の井酒造から少し西へ進み、交差点に行き着くところで、足元に「糸魚川町道路元標」と記された石製の標識が目に入ります。この交差点を右折し、海に向けて少し歩いたところが「塩の道」の起点です。「塩の道」は古くから海沿いの地域と山間の地域間の物流に大きな役割を果たした道で、糸魚川から長野県の松本市まで続いています。江戸時代には沖合に停泊した北前船から物資が積み下ろされ、浜辺のすぐ近くから始まるこの道を通って多彩な荷物が運ばれました。「塩の道」の起点近くには北前船の船員の休憩所や「歩荷(ぼっか)」や「牛方(うしかた)」と呼ばれる、塩の道を通って荷物を運搬する人々の休憩所が存在したほか、様々な商品を扱う問屋が軒を連ねていました。「塩の道」は長野県から糸魚川を通って日本海へ流れ込む姫川沿いの道をずっと進んでいくのですが、高地から流れるこの川は急流として知られ、暴れ川の危険から逃れるように、人々はこれもまた険しい峠道を歩いていきました。「塩の道」は新しい道の敷設とともにその役目を終え、現在その機能は国道148号とJR大糸線に受け継がれています。

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個人的な話になってしまいますが、私は大糸線の車窓から眺める風景がとても好きです。大糸線は「塩の道」以上に姫川と隣り合わせのルートをとるのですが、車窓からの風景はよくもこんなところに道を通したな!と先人の苦労に思いを馳せざるを得ない光景ばかりで感服するとともに、そのどれもが美しいのです。崖の間をくぐり抜ける洞門や川を横切る橋、長いトンネルなど様々な難所が続く間に、時折目に入る山や川面の景色や遠くに見える山間の集落の光景は、自然の怖さと美しさ、自然と共存してきた人々の歴史をいっぺんに思い起こさせてくれる特別な風景だと私は思っています。

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歴史香る糸魚川の道に、ぼんやりと佇む私の日常

ここまで糸魚川の歴史の中で重要な役目を果たした海の道と山の道についてお話ししましたが、糸魚川には「私にとって」重要な道もあります。
私が糸魚川で過ごす時間の中で一番好きな時間は一人でぼんやりと海を眺める時間です。そのときはもっぱら国道8号沿いの歩道や国道そばのヒスイ海岸から海を眺めます。国道沿いのコンビニでコーヒーやお菓子を買って、気の済むまで一人ぼんやりと海を眺めるのです。変わり続ける波の表情や暮れなずむ夕日を眺めていると無心になれて、ちょっとした嫌なことがあった日や、一日中眠ってしまった休日も、いい日だったなーと思えてくるから不思議です。国道8号のそばでそうやって佇んでいると沢山のトラックが通り過ぎることに気付きます。そうだった、この道は親不知を通り過ぎるとっても重要な物流の道なのだったと一瞬思い出すのですが、海を眺める私にとってはそんなことは関係なく、ただただぼんやりするための道です。この実用性との対比により、私のぼんやりする時間がより際立つのかもしれません。とにかく、私にとって国道8号から海を眺めてぼーっとする時間は、かけがえのない時間です。

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海沿いや山間の、険しくも重要な道のりをなんとか円滑に通り抜けようと、安全な道が整備されてきたのが糸魚川の歴史です。そうやって作られた安全な道を「実用的」には使わずに山の景色や海沿いの風景にただただ夢中になったり写真におさめたりするとき、この街でぼんやりと生きる私自身でさえもまた、この街の歴史に生かされるちっぽけな一人なのだと実感します。道という日常的な風景から長い歴史を思い起こさせてくれる糸魚川という街は、地元という贔屓目を抜きにしても素敵な街だなあと感じます。


編集部コメント

糸魚川といえば、美味しい海産物が取れたり、翡翠が有名というイメージが強いですが、北陸と江戸(東京)、海側の地域と山側の地域をつなぐ交通の要所ということに、とても地域の奥深さを感じました。様々な地域との交流があったからこそ、糸魚川の文化というものが形作られてきたのではないでしょうか?私自身も、交通関係のお話はとても好きなので、もっともっと「糸魚川と道」の歴史について学びたいと感じました。(小日山)