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県民ライター2022.03.24

祝い唄「天神ばやし」の起源に迫る。
地域差で異なる歌詞の謎

「新潟コメジルシプロジェクト」では、新潟に暮らす県民自らが県内の気になるもの、おもしろいと思った人を取材、紹介する「新潟県民ライタープロジェクト」を始動しました。そこで暮らしているからこそわかる、ローカルなアクションや、小さくてもホットなトピックを取り上げていきます。

太刀川 剛(たちかわ・つよし)
小千谷市在住で、現在は長岡のシステム開発会社で車載機器のソフトウエア開発をしています。最近は、伝統を受け継いでいくことが大切だと感じるようになってきました。

「以前から、宴会で唄われている『天神ばやし』って一体何だろうと不思議に思っていました」

小千谷・十日町での飲み会に
参加するときに覚えておきたい「天神ばやし」

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「天神ばやし」が出るまでは席を立ってはいけない。

普通の飲み会では乾杯の後、しばらくすると席を自由に移動するが、小千谷市や十日町市の飲み会では少し異なることがある。席を立とうとすると、「天神ばやしを斉唱するまでは動くな」と言われる。

しばらくすると「一番どり、お願いします」という声が聞こえる。そして一番どりに指名された人が天神ばやしの音頭をとり、唄い始める。それに続いてその場の全員が唄う。何度か音頭どりとそのほか全員のかけ合いを繰り返し、最後に全員で手拍子をして終わる。唄い終わると「これより無礼講」となり、席も自由に移動することができる。

どんな唄か一例を挙げると、

目出度いこれの(音頭取り)
お台所 お台所
お釜八つにナーエうしろに
蔵が九つかさねます(音頭取り)
うしろに蔵が九つ

(出典:『これぞ正調!小千谷の天神囃子!小千谷ライオンズクラブより。』 – YouTube

となっている。ただし、この歌詞は地区ごとに異なっており、節回しやテンポもそれぞれ違う。

例えば以下のような歌詞もある。

天神ばやしの 梅の花 一枝たおめて 笠にさそう

やれ笠にさそさより 島崎女郎衆の手に上げよう

目出度いものは 大根種 花が咲いて実れば 俵重なる

御門の上の鶯が これの旦那様 知行増せ増せと さやずる

(出典:『小千谷市史』小千谷市史編集委員会、昭和56年発行)

ほかにもお開きの際には、「そろそろ八幡の森を」という合図で以下の歌詞を唄う。

八幡の森に宿とれば 宿とれば 宵にゃ鐘がなる 夜明けにゃ森の巣烏(すがらす)

(出典:『魚沼の祝い唄 天神ばやし』大島伊一著、平成13年発行)

小千谷市では、この天神ばやしは会社の暑気払い、忘年会、社員旅行の宴会などで唄われている。ある会社では社員旅行の際に旅館の宴会場で天神ばやしを始めたところ支配人が何ごとかと驚いてやってきたということもあったという。宴会場で喧嘩をしていると思ったらしい。100人以上で一斉に唄うのだから相当な音量だったのだろう。

天神ばやしのルーツは謎に包まれている

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天神ばやしが、なぜ新潟県内でも小千谷市、十日町市周辺でしか歌われていないのか、また、どうして地域ごとに歌詞が違うのか、地元の人でもよくわからないという。

そもそもどこが元祖なのか。地元の人もその謎を解明できたら、より天神ばやしに愛着を持つことができるのではないか。少なくとも私はそう思っている。

初めて聞いたのは、社会人になって初めての宴会のときだった。話には聞いていたので「これが天神ばやしか」と思ったが、歌詞カードがあるわけでもないうえに、歌詞が聞き取れず、全然ついていくことができなかった。

天神ばやしのルーツを調べようと思ったとき、まず頭に浮かんだのが十日町市の〈魚沼酒造〉でつくられている日本酒の〈天神囃子〉である。

天神囃子の蔵元であればルーツを知っているかもしれないと思い、魚沼酒造の山口光子さんに話を伺った。

山口さんは十日町市出身ではなく、初めて聞いたのは自身の結婚式だったという。その後、天神ばやしが結婚式などの特別なときだけでなく、日常に溶け込んでいることを知り、興味を持つようになったという。結局、山口さんもなぜこの地域だけで唄われているのか、わからないということだった。

さらにルーツを探るため、十日町で天神ばやしの研究をしている人が書いた本を読んだが、確定的な史実はわからなかった。

天神ばやしの歌詞について

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それぞれの歌詞がどのような意味を持つのか。それを探ってみれば、何かルーツへのヒントが隠されているかもしれないと、文献などを参考にまとめてみた。かつての領主との関係性や、農民としての暮らしが見えてきた。

目出度いこれの お台所 お釜八つに うしろに蔵が九つ

この歌詞は、永禄年間の戦いで勝利した際に、小千谷市薭生(ひう)の領民が領主の繁栄を願ったものといわれている。歌詞の「お台所」は、御台所(みだいどころ)を指す。これは大臣・将軍家などの妻に対して用いられた呼称。領主がお釜を八つ、蔵を九つ持てるようにとの願いを込めている。

天神ばやしの 梅の花 一枝たおめて 笠にさそう
やれ笠にさそさより 島崎女郎衆の手に上げよう

島崎女郎の部分は「島崎上臈(じょうろう)」と唄う地域もある。女郎は遊女のことで、上臈は厳しい修行と長年の年功を積んだ高僧や貴婦人のこと。歌い継がれるなかで変化していったものだと思われる。

島崎という地名は、旧・三島郡和島村(現・長岡市)にある。小千谷市や十日町市では雪が多く田植えの時期が遅くなる。そこで和島村などの田植え時期の早い地方に、集団で出稼ぎに行っていたようである。島崎地区の近くには北野天満宮があり、梅の木が植えられていたそうである。その様子を唄ったと想像される。

目出度いものは 大根種 花が咲いて実れば 俵重なる

大根種は米俵を積み重ねたような形であり、目出度い(めでたい)ものの代表とされている。この歌詞は千葉県香取郡に伝わる「大根種」という歌がルーツだという説もある。

(参考:『大根種 (千葉県香取郡多古町多古の祝い唄)  S63.4.23 現地録音』 – YouTube

御門の上の鶯が これの旦那様 知行増せ増せと さやずる

この歌は、権力者が主催する宴会などで唄われたものだろうか……。

きちんと継承されたり、文献や保存会があるわけではないのに、民間伝承として現在まで残っていることが興味深い。筆者が個人的に興味を持って調べ始めてみたが、結果的に正確なルーツに辿り着くことはできなかった。しかしルーツがわからなくても、現実として今日もどこかで唄われていることは事実であり、唄われている限り、かたちは変わりながらも失われることはない。

伝統芸能や祭りのようなものとは違うが、天神ばやしは民間伝承としてこれからも唄い続けられていくのだろう。そのルーツを調べていくことが、小千谷市や十日町市という地域の文化を知り、残していくことにつながると信じている。