城下町・新発田の歴史が息づく職人の技
新潟県民にとっては「当たり前」でも全国的に見ると全然当たり前じゃないことってたくさんあるはず! そんな新潟の魅力を、新潟県に縁のある方に聞いてみました。
人の手が紡ぎ出すあたたかさと確かさ。
新発田市には、多彩な職人文化が今も息づいています。
床の間には花を活け、華道や茶道を習う新発田市民。
建具や染め物、和菓子など、職人の手から生まれたものは特別な場所だけではなく、一般の家庭でもよく目にするそう。
今回は、「手から生まれるモノを大切にする傾向にあるのかもしれません」と話してくれた月刊フリーマガジン『街角こんぱす』編集長・西村さんに新発田市の歴史と職人技について寄稿してもらいました。
慶長3(1598)年、豊臣秀吉によって国替えを命じられた溝口秀勝(みぞぐち ひでかつ)候は、多くの武士や職人、商人らを伴って加賀大聖寺(現石川県加賀市)から越後蒲原郡(現新発田市)へと移ってきました。
以来、400年を超える歴史をもつ城下町・新発田には、職人の技が今も息づいています。刀剣研師や判子職人、建具職人、染物師、塗師、和菓子職人、酒蔵の杜氏…。伝統の技を守り続け、100年先も朽ちることのないものづくりを続けるその気概、人の手が紡ぎ出すあたたかさは、“ほんものの価値”を伝えてくれます。
【編集部からひと言】
新発田市民の暮らしに根付く職人の文化
400年以上経ってもなお、職人の技が受け継がれ、一般家庭でも息づいている新発田市。人の手でつくられる工芸品が当たり前にある暮らし。意識していても、いなくても、自然と市民の誇りにつながっているのかもしれませんね。