道も、想いも、思い出も
繋いでいく。
長岡市のシンボル「長生橋」が
果たす役割
新潟県民にとっては「当たり前」でも全国的に見ると全然当たり前じゃないことってたくさんあるはず! そんな新潟の魅力を、新潟県に縁のある方に聞いてみました。
道を繋ぐだけじゃない。
長岡市のシンボルでもある「長生橋」。
長岡市の川東地域と川西地域を繋ぐ重要な要です。初代・長生橋が完成したのは、明治9年。長岡市の「長」と、この橋が草生津(くそうづ)という地区に作られたことから「生」の字をとって名付けられたといわれています。
建設当初は、中洲に江口だんごの初代駒吉が茶屋を出し、だんごや煮しめを出していたのだそう。旅人や行商の方のお休み処として賑わっていたみたいです。
元々は有料の橋でしたが、度重なる信濃川の洪水で橋は破壊。建設費を橋の通行料で補おうとしていましたが、何度も橋が壊れるのでそれも難しい状況になり、明治24年に所有を県に移して無賃橋になったといいます。
その後も度々建設し直し、現在の長生橋は、3代目。平成29年10月12日には傘寿(80歳)を迎えました。
近くに住むわたしにとっては、当たり前に存在している長生橋。「道路を繋ぎ、生活を円滑にするだけではなく、橋自体にもそれに纏わる思い出も積もっていき、歴史になるのかな?」と時々、思いを馳せらせます。
代表的なものといえば、長岡の大花火大会。「ナイアガラ」の名称で知られる「しかけ花火」が架かったり、遠目でみると「三尺玉」の写真に大体フレームインしていたりと、さまざまな花火が打ち上がります。
長岡市民にとって、花火と橋の思い出は感慨深いものなのではないでしょうか。
【編集部からひと言】
市民にとってかけがえのない橋
「長生橋」
小さい頃から当たり前に存在している長生橋。地域を行き来するだけではなく、人の思いを繋ぎ、思い出の場にもなっている。市民にとって欠かせない橋なんですね。