先人の苦労のおかげで
今がある。
私たちの当たり前な暮らしを
守り続ける大河津分水
新潟県民にとっては「当たり前」でも全国的に見ると全然当たり前じゃないことってたくさんあるはず! そんな新潟の魅力を、新潟県に縁のある方に聞いてみました。
安全な暮らしを守り続ける
大河津分水
越後平野近くに住む人々にとって、なくてはならない「大河津分水」。今や私たちが安全に生活する上で必要な存在です。
かつて越後平野は信濃川の度重なる氾濫によって、壊滅的な被害を強いられてきました。この被害を減らすには、川が氾濫する前に一部の水を日本海へ流す必要があります。そのために造られたのが、大河津分水です。
江戸時代、氾濫により稲作がうまくいかず苦しんでいた農民は幕府に何度も分水路建設を請願。200年あまり繰り返された請願がようやく認められ、明治42年に本格的な工事が始まったそうです。しかし、工事が始まってからも苦労の連続。大規模な地すべりや自在堰(現在の可動堰)の陥没など、多くの困難を乗り越えて、昭和6年についに完成。累計1,000万人もの人が築き上げた分水路と河川のおかげで私たちはいま経済をまわし、洪水を心配することなく暮らせているのです。
被災された方々にお話しを聞くと「この川のおかげで・・・。」と川に感謝する言葉ばかり。新潟の人達は川とともに歩んできたんだと、気づかされました。
思い返せば、令和元年の台風19号のときも大河津分水に助けられましたよね。前日から長野県が大雨で、千曲川から溢れはじめている映像をネットで見ていました。「これ以上大変なことにならないで!」「もう雨やんでくれ!」と思っていました。同時に「この洪水が明日、新潟にやってくる……」と気づき、ゾッとしました。でも、水があふれるどうかと瀬戸際のところで、何とか大河津分水の洗堰(あらいぜき)が持ち堪えてくれて。改めて、大河津分水の有り難さを痛感しました。
この写真は、大河津分水の洗堰(あらいぜき)。この洗堰を見るとパワーをもらえる気がして、よく行くんです。これまでに、ウォーキング、BBQ、魚とりなど様々なこともしてきましたが、仲間と一緒に行った川にまつわるトークショーは楽しすぎました!遠藤麻理さん、さとちんさん、を招いて、川だけに最近キレたこと、お互いのカワっているところなどをお話しいただきました。
2022年、大河津分水は通水してから100周年を迎えるそう。その前に改めて大河津分水について調べてみるのはいかがでしょうか?
大河津分水の近くには、こうした歴史がまとまった「信濃川大河津資料館」があります。信濃川と越後平野の成り立ち、人々の暮らしと風土などの資料もたくさんあるので、ぜひ足を運んでみてください。
【編集部からひと言】
令和元年の台風19号で
大河津分水路の偉大さを痛感
記憶に新しい令和元年の台風19号。大河津分水路が破られるのではないかと、ドキドキしながらネットの中継をみていました。普段は意識しない大河津分水路ですが、このときに初めて存在の偉大さを理解。改めて先人に感謝した瞬間でした。2022年は通水100周年。この偉大さをもっと多くの人が知る機会ができたら嬉しいですね。