現代のライフスタイルに合わせ
屏風から組子細工へ。
生き残りをかけた小さな工場の変革
「新潟コメジルシプロジェクト」では、新潟に暮らす県民自らが県内の気になるもの、おもしろいと思った人を取材、紹介する「新潟県民ライタープロジェクト」を始動しました。そこで暮らしているからこそわかる、ローカルなアクションや、小さくてもホットなトピックを取り上げていきます。
風除け、虫除け、外の人と目線を合わせないための仕切りとして重宝された、屏風。だが、現在家で屏風を使っている人はどのくらいいるだろうか。生活様式の変化によって屏風の出番は少なくなり、多くの屏風工場が閉鎖せざるを得ない状況になった。
それは、屏風の産地だった新潟県加茂市も例外ではない。かつては11軒あった工場も今は2軒。「材料加工から完成まで一貫して屏風を製造している会社」は全国探しても加茂市にしかないそうだ。
そのうちの1社が屏風や組子細工などを製造販売する〈大湊文吉商店〉。「屏風だけで生き残ることは難しい」とそれまで培った技術を応用して、組子細工のライトやティッシュボックス、パーテーションなど、現代に合った商品を開発している。
従来の事業に縛られず、新たな切り口で顧客を獲得した〈大湊文吉商店〉。その姿を探るべく、4代目の現社長・大湊陽輔さんに話を聞いた。
ウルトラマンにドラえもんとのコラボも!?
新たな商品を生み出し続ける〈大湊文吉商店〉
木工産業で栄えた加茂市で屏風の製造を続けてきた、〈大湊文吉商店〉。現在は屏風だけでなく、仏具や和家具、組子細工を使ったインテリアも製造している。
なかには、ウルトラマンやドラえもんなど、有名キャラクターとのコラボ商品もある。2020年には新型コロナウイルス感染症対策のため、飛沫防止パーテーションを屏風の技術で製作。「高級感があり、雰囲気に合う」と市内外の日本料理屋や旅館で使ってもらっているそうだ。
工場見学と組子細工体験をパックにしたツアーを開催するなど、今では組子細工のイメージが強い〈大湊文吉商店〉だが、もとを辿ると組子細工でも、屏風の会社でもなかった。
和紙から屏風へ。
高度経済成長とともに事業内容を転換
初代・大湊文吉は、明治初期、加茂市七谷地区で和紙生産が盛んだったことから、和紙の問屋として創業。続く2代目は柿渋を抽出したものを和紙に塗る「渋紙」の製造を始めた。渋紙は、防腐や防水の効果があり、簞笥や部屋の敷物、荷物の包装などに用いられ、その丈夫さから一般の市民からとても重宝された。
そして、2代目が1954(昭和29)年に株式会社大湊文吉商店とし、屏風の製造を開始。その理由を現当主である4代目の大湊さんは、屏風を始められる要素が加茂には十分揃っていたと教えてくれた。
「当時の加茂は、ずっと根づいてきた建具の技術と、県内トップクラスの生産量を誇っていた和紙、そして加茂市出身の画家・番場春雄さんに憧れていた画家見習いがたくさんいた時代でした。しかも、戦後で多くの人が住宅を建てる必要があった。そのときは一家にひとつは屏風がある時代だったので、そのニーズに合致していたのだと思います」
その流れはしばらく続き、大湊さんが子どもだった1970年代はとにかく屏風が売れた時代だったと振り返る。
「一番売れたのは、座っていると頭が隠れるサイズの4尺の屏風。誰かが来たときに、顔を合わせないように。それでも、部屋のなかに人がいることは知ってほしい。
こうした状況のときにちょうどいいサイズなんですよね」
しかし、その後生活様式の変化により、販売数は激減。以前は年間に1万5千本つくっていた屏風も、平成に入ると200本にまで落ち込んだ。工場も同様で昭和30〜40年代は加茂市で11軒あった屏風の工場も、平成に入る頃には3軒となってしまっていた。
時代のニーズに合わせて
屏風から組子のインテリアへ
大湊さんが代表になったのは、2006(平成18)年。新しく建てられる家の多くが西洋式で、屏風の需要は少ない時代だった。しかし、次第に豪華列車や建造物に組子細工が使われるようになり、マスメディアで取り上げられることが増えていったという。
「2013(平成25)年、組子細工を装飾に取り入れたJR九州のクルーズトレイン『ななつ星in九州』 が話題になったんです。それから、建築家の隈研吾氏が組子細工を建築に取り入れることも増えてきて。一般の人にも組子細工の認知度が高まっていた頃だったんじゃないかなと思います」
加茂市には組子細工を売り出している企業が少ないことに目をつけた大湊さんは、組子細工の商品開発を開始。組子を使ったライトやティッシュボックス、トレーなど現代でも使いやすい商品をどんどん開発していった。
「屏風と組子は一見関係なさそうに見えますが、組子づくりは屏風の技術の基本。屏風には木枠が入っているし、障子を取り入れた屏風もつくっていたので、すぐに取り掛かれました」
屏風という商品にこだわるのではなく、自社の技術を使って何ができるかと思考を転換させた大湊さん。その後も、組子細工のインテリアから、組子細工を取り入れた建具へと事業の幅を広げていった。
「県内のテレビの特集でうちの組子細工が紹介されると、県内のお寺から『組子を使ってお寺の本堂の戸をつくってほしい』と問い合わせをもらったんです。ただ、戸になると組子づくりとは違う技術が要求されるので建具屋を紹介しようかと言いました。でも、おたくでつくってくれと言われて、挑戦してみることにしたんです」
そうして、お寺で戸をつくると、その話を聞いた人から店舗の什器や自宅の建具に組子を取り入れたいと問い合わせをもらうように。商品をつくり、販売するメーカーとしての仕事から店舗設計の提案へと、徐々に事業の幅が広がっていった。
掃除がラクになるように。
アクリル板を貼った組子細工を提案
時代に合わせて商品の幅を広げてきた大湊文吉商店。大湊さんが意識していることは、顧客の声を聞くことだという。もともと加茂市の屏風屋は東京や京都など、問屋や百貨店に直接商いに行く工場ばかりだった。百貨店の担当者から購入者の声を聞いて、売り場へ行き、自分の目で今何が売れているかを把握する。トレンドを見て時代に合わせた商品をたくさんつくってきた。
その思いは今も変わらない。お客さんから問い合わせが来てまず聞くのは、「なぜ組子が必要なのか」。本当の課題はどこにあるかを見つけ出し、それを解決するために組子の活用方法を提案する。
「以前、加茂市内にある〈日本料理 きふね〉さんから、『無機質な電灯が気になるので覆うような組子がほしい』と相談を受けたんです。そのときに外から虫がたくさん入ってきて掃除が大変という話も聞いて。それなら、電灯を覆うのではなく、上から吊るして掃除しやすいようにしたらいいのではと提案しました。その分予算が余ったので、壁に組子を入れたり、パーテーションにしたり。大正レトロを意識しながら設計しました」
また、一般のお客様で子ども部屋の窓に組子をはめて欲しいといった要望があったときは、透明なアクリルで組子を挟み、掃除がラクになるように工夫した。商品はお客様の手元で長く使われるもの。組子がどのように使われるかまで配慮し、ずっと使ってもらうために何ができるかを常に考えているのだという。
地域と協力することで
加茂のポテンシャルを引き出す
屏風の技術を使って組子の新商品を開発し、店舗や自宅の装飾にも応えてきた大湊文吉商店。自社店舗を計画したが、新型コロナウイルス感染症収束の見通しがつかないこともあり、現在は保留状態だという。
「周りからも直販をやってほしいと言われるんですよね。ただ、先の仕事が見通せない状態で決断するにはハードルが高い。その分、今は〈日本料理 きふね〉さんなど周辺地域の人との連携を強めています」
その理由として加茂市には人が集まるポテンシャルがあると続ける。
「加茂市には、ものづくりも、自然も、おいしい食もある。加茂山や加茂川、車を走らせれば水源地もある。きふねでは質の高い料理を出しているし、商店街にも若い人が頑張っているカフェもある。お寺もたくさんあるし、肉屋や豆腐屋など昔ながらの商店もあるじゃないですか。友人同士や夫婦、子連れで、みんなでまち歩きを楽しめる要素は揃っているはずなんです。だからあとは線としてつなげるだけ。ウォーキングすることで健康持続するよと謳いながら、まち歩き需要を喚起できたら、まち全体が活気づくような気がします」
加茂市を見ても、周辺地域を見ても、衰退しつつある産業はいくつもある。伝統を守ることにとらわれすぎて、現代に合わせたニーズを見失っては、事業として継続できない。会社を継続させていくためには、事業を柔軟に変化させることも必要かもしれない。
商品の需要は移り変わっても、技術力はなくならない。培った技術を生かして、次に何ができるのか。大湊文吉商店のように、確固たる技術を使って変革できる伝統産業が、まだまだたくさんあるのかもしれない。
Information
大湊文吉商店
住所:新潟県加茂市秋房1-26
TEL:0256-52-0040
URL:http://www.oominatobunkichi.com/