十日町から世界へ。
絹生活研究所が生み出した
シルクを超えるシルクのちから
「新潟コメジルシプロジェクト」では、新潟に暮らす県民自らが県内の気になるもの、おもしろいと思った人を取材、紹介する「新潟県民ライタープロジェクト」を始動しました。そこで暮らしているからこそわかる、ローカルなアクションや、小さくてもホットなトピックを取り上げていきます。
シルクの概念を変える
新潟県十日町市。穏やかな空気が流れるこのまちに〈株式会社きものブレイン〉がある。きものブレインは、1978年に呉服卸売業として設立し、1980年に全国初の着物のアフターケア事業をスタート。2015年にはシルクの新事業としてライフスタイルブランド〈絹生活研究所〉を立ち上げた。
絹生活研究所では、一般的にシルクと聞いて思い浮かべる商品に加え、コスメティックやサプリメントまで幅広い商品を展開している。なかでも石鹸やシャンプー、入浴剤などのバス用品は人気が高い。シルクを使った入浴剤には、プラスイオン成分が含まれているため、マイナスイオンを持つ肌に密着し、わずか3分ほど湯船に浸かっているだけで肌がなめらかになる効果が期待できる。
また、アトピー性皮膚炎の患者さんからの意見を参考に開発した全身シャンプーや、皮膚が弱い子犬や老犬にも使用できるペット用のシャンプーなど、肌にやさしい商品のラインナップが充実している。
新しい試みとして「食べるシルク」こと、シルクを発酵させてつくるヨーグルトの開発も進めている。腸まで届く乳酸菌で発酵させることで、シルクの成分が体内から働きかけ体質改善を促進するというもので、実現すればシルクは今までとは異なる側面からも人の健康に役立つはずだ。
シルクが持つ可能性の多様さに驚くが、絹生活研究所の商品を愛用している人の多くがシルクの効果を実感し、その虜になっている。
「商品を使ってくださった多くの方がリピーターになられています。例えば全身シャンプーはリピーター率が80%です。一度使った方は『これなくしてはいられない』と言って使い続けてくださっています」(きものブレイン 代表取締役 岡元松男さん)
さまざまな商品を開発している絹生活研究所だが、開発に関しては一貫して「天然由来のものを使用すること」「人間の身体に悪いものを使わないこと」を念頭に置いている。シンプルではあるが、健康と美を保つ新しい生活習慣「シルキング」を謳う絹生活研究所にとっては最も大切なことだ。
「シルキング」とは、肌にシルク成分を塗ったり、シルクを身にまとったり、食べたりすることで健康になる生活習慣を意味する造語であり、絹生活研究所は「シルキング」を広めてシルクの概念を変えることを目指している。
絹生活研究所とみどり繭
絹生活研究所で使用されているシルクは、「みどり繭」から得られる特別なシルクである。一般的なシルクとは一味違い、長年の研究で品種改良された薄緑色の繭だ。
「みどり繭は、通常の繭よりも多くフラボノイドを含んでいます。フラボノイドには、細胞の老化を防いだり、紫外線を防御したりする作用を持っており、人の肌を清潔に保つということが我々の研究から得られた結果です」
しかし、実のところみどり繭は糸にするのには適していない。そこで絹生活研究所では、みどり繭の性質を活用した商品づくりを行なっている。
「当初はみどり繭から生糸をつくるつもりでしたが、国内には繭から生糸を引く製糸工場がほとんどありませんでした。たとえ請け負ってくれたとしても製糸料金があまりにも高すぎる。そこでシルクを利用した商品づくりに方向転換しました。つまり、みどり繭が持つ成分を最大限に活かせる別の方法を考えたのです」
絹生活研究所ではみどり繭の養蚕から行っており、世界でも珍しい無菌状態で蚕を生産する工場を持っている。なぜ、着物加工会社であったきものブレインが、ここまで本格的な養蚕を始めたのだろうか。それは、着物業界は近年売り上げが落ちているうえに、受注に波があると赤字につながる労働集約型の産業であったことが理由のひとつだ。
「着物業界の衰退による他社の倒産と人員整理を嫌というほど見てきました。当社はそれだけは絶対にしてはいけないという強い想いがあります」
会社を永続させるために安定した収益の柱として新しい経営基盤の確立を目指したこと。それが、絹生活研究所が養蚕事業を始めたきっかけだ。
日本の養蚕に対する課題もあった。
「養蚕農家は高齢化が進み、生産量はわずかです。そこで年間を通して繭を生産できる地方発の新しいシルク産業をつくることを目指しました」
しかし、養蚕事業は予想以上に厳しいものだった。最初にぶつかった壁は人工飼料の開発だ。当初、蚕は餌を食べるものの繭ができず、研究は難航した。ビタミンなどの微量成分を何度も変えながら、最適な餌のレシピが完成するころには2年近くが過ぎていた。
さらに、絹生活研究所が目指すものを実現するには、多くの蚕を飼育する必要があった。
「研究室では一度に7000匹ほどが限界でしたが、必要な量の繭を確保するためには、一度に10万匹を飼育する必要がありました」
しかし、多くの蚕を飼育するには病気への対策が必要となる。1匹でも病気になるとほかの蚕も感染している可能性があるため、一緒に育てていた蚕が全て使い物にならなくなる。さらに完璧に除菌しないと新しく蚕を飼うことが許されないため、一度病気が発見されると3か月から半年は養蚕が不可能になるのだ。
「多くの蚕を飼育しながらも病気にかかるリスクを減らすことが求められました。しかし、ありがたいことに蚕の工場用生産の研究をしていた東京農業大学の長島孝行教授と、蚕の病気の研究をしていた京都工芸繊維大の松原藤好名誉教授の協力を得ることができ、我々はついに『無菌人工給餌周年養蚕』による繭の量産化を実現することができたのです」
明るい未来の十日町市を目指して
「若者の生活を守りたい」。岡元さんが何度も口にした言葉だ。
十日町市は現在、人口減少と少子高齢化に悩まされている。
「毎年1000人ずつ人口は減り続けています。ちょうど10年で1万人が減る計算になりますね。これからもずっと減り続ければ、10年後は恐ろしい光景が見えてくるでしょう。だから若い人が働きたいと思えるような会社をつくっていかなくてはいけません」
十日町市はもとより養蚕が盛んなまちで、着物の産地としても知られている。ところが十日町市の着物産業は低迷していると岡元さんは顔を曇らせる。
「今から30〜40年前、十日町の着物の出荷額は565億円ほどで、着物産業だけで1万1000人の雇用がありました。店先の歩道には人が溢れて活気がありました。しかし、今では売り上げが30億を切ってしまったんです。三十数年間にわたってずっと右肩下がり。こんな業界はほかにないでしょう」
しかし、そんななか、きものブレインでは毎年新卒採用を行い、その甲斐もあって社員平均年齢は39歳と若い。ダイバーシティー企業の名を掲げて障がい者雇用や子育て支援なども積極的に行っている。
「地方である十日町市に『きものブレイン』という会社があることに意味があると思っています。若い人が集まる企業、そしてまちにしたい。若い人があふれるくらいに会社が成長しなくては地域の未来は明るくならないと思います。この会社なら仕事をしたいと若い人が思えるような環境をつくりたいです」
将来的には日本だけでなく、アジア、そして欧米への進出を目指してグローバル市場を拡大する方針だ。
「着物の産地である十日町市で新しいシルク産業を始められたことに運命というか、何か縁のようなものを感じます。シルクといえば絹生活研究所だと言ってもらえるくらい成長させることが目標です」
「着物業界では未だかつてない」と言われることを多く成し遂げてきたきものブレイン。シルクの力で十日町から世界へ。その根底にあるのは、地方創生にかける熱い思いである。
Information
株式会社きものブレイン
夢ファクトリー本社工場
住所:新潟県十日町市高田町6-510-1
TEL:025-752-7700
URL:https://www.kimono-brain.com
絹生活研究所
TEL:0120-611-240
URL:https://silklifelab.com
Instagram:@silklifelab
Twitter:@silklifelab
facebook:絹生活研究所