「新潟愛」がほとばしる!
横澤夏子×DJ松永 新潟出身・同い年
ホンネの「子育て」トークイベントレポート | Page 2
目次
幼少期~青春時代の家族、遊び方を語る
中学校の先生である父と、スクールカウンセラーの母という教育一家で育った横澤さん。しつけが厳しかった母のもとで育ったDJ松永さん。それぞれの幼少期から青春時代の話も繰り広げられました。
「家が厳しかったし、どこに行っても『横澤先生の子ども』っていわれるから、ぜったい真面目にいなきゃいけない! みたいな」と、当時を振り返る横澤さん。「だから、小・中・高ずっと生徒会長。あ、高校は副会長になり下がっちゃったんだけど!」と言います。
一方で、DJ松永さんも母のしつけが厳しかったようです。
DJ松永「母親は厳しめに育てようっていう教育方針だったみたいで。本を読め! 勉強しろ! って、バラエティも、ドラマも、漫画も見せてもらえなかったですね」
横澤「あんなにバラエティ番組に出ていたのに?」
DJ松永「7時のニュースを見ながらごはんを食べる感じでしたから。ちなみにうちの兄は地元で一番頭のいい高校に行って優秀。だから俺はだいぶイレギュラーでしたね」
横澤「うちはね、親から『人の悪口は言っちゃだめだよ』って育てられたけれど、今は『●●の女』っていうネタをやっていて……ねえ? いろんな育て方がありますよね!」
家庭のあり方は違えど、それぞれに厳しいしつけのなかで育ったおふたり。そのなかで「親からの教えをその後の人生にどう生かすかは自分次第」と語り、それぞれの活躍を認め合う横澤さんとDJ松永さんでした。
そしてトークは「子どもの頃、何をして遊んだ?」という話に。
豊かな自然が広がる糸魚川で暮らしていた横澤さんは「祖父母が田んぼをやっていたので、精米所でハイジごっこをして遊んだり、海で遊んだり」と、地元ならではの環境でのびのびと遊び、自然に親しんでいた様子。
横澤「糸魚川の海ではヒスイがとれるんですよ。小学校1年生のときに拾ったヒスイを鑑定してもらったら1000円の値がついて、うれしくて。もし何か困ったことがあったらこれを売ろう! と思って、今もトイレに飾ってます(笑)」
そんな横澤さんの話を聞き、「俺は都会っ子だったのかも」と自身の青春時代を追想するDJ松永さん。中学生になるとストリートファッションに目覚め、高校時代はヒップホップに傾倒。高校2年生でDJ活動に出合い、上越市のクラブなどにも出入りしていたそう。
DJ松永「当時、長岡駅前に〈アトミック〉っていうお洒落なアパレルショップがあって。お金がないから缶バッヂやTシャツしか買えないんだけど、みんなが本当にほしかったのはそこのショップバッグなのね」
そのバッグに体操着などを入れて登校するのがステイタスだったというDJ松永さん。「ショップバッグ、ありましたね〜」と、横澤さんも当時を懐かしむ面持ちに。
DJ松永「生まれた年は一緒だけれど、だいぶ違う文化圏のなかで暮らしていたんだね。新潟って広いから」
横澤「やっぱり上越、中越、下越で全然違うんですよね」
それぞれの育った環境や遊び方の相違に驚きつつ、共有しあえる思い出に頷き合うおふたりでした。
次に横澤さんの出産後の子育てと戸惑いがあったという話に展開。初見聞の子育て事情に驚きが隠せないDJ松永さんです。