金属加工のまちとして江戸時代から続く、新潟県弥彦・三条エリア。金属産業の現場で働く多くの職人や労働者たちを、独自の食文化が支えてきました。一方で野菜や果樹栽培の多品目産地としても知られる同エリア。その食文化を紐解きに、新潟県出身の料理家・坂田阿希子さんが現地へ足を運びました。
地元食材を求めて直売所へ
工場のイメージが強い新潟県弥彦・三条エリアですが、県内でも雨が少なく穏やかな気候に恵まれている風土で、滋味あふれるお米や野菜、果物を育ててきました。
この地が育む地元食材にはどんなものがあるのでしょうか。三条市内の農産物直売所〈ただいまーと〉に足を運ぶと、多品種のナスや、全国有数のブランド〈大口れんこん〉、40品種以上あるといわれる枝豆など、朝採れ野菜や果物がずらりと並んでいます。
「新潟生まれの香り豊かな枝豆は、県民の消費率が高くてなかなか県外に出てこないんです。新潟を離れて初めて、地元の味の豊かさに気づきました」と坂田さん。
「1品目の中にさまざまな品種があるのが新潟野菜の特徴なんです。丸ナスはオリーブオイルでソテーに。梨ナスはシンプルな浅漬けに向いていますよ」と、食材に合わせた使い方のイメージを膨らませていきます。
旅に出ると、ついつい食材の買い物をしてしまうという坂田さん。荷物は増えてしまうけれど、帰ったあともその土地の旬を味わえて「ちょっと得した気分」になるんだとか。
洋食器生産と労働者を支えてきた食文化
弥彦・三条エリアは、もともと金属加工産地として全国に名を馳せ、終戦後には輸出産業が盛んになりました。ものづくりでまちが復興していくなか、食文化はどんな発展を遂げてきたのでしょうか。現在、国内の金属洋食器生産シェアの約9割を占める燕市で、その技術力をけん引してきた老舗メーカーの社長に話を聞きました。
「昭和30年代には多くの労働者がこの地に通い、まちの活気に合わせて飲食店が増えていきました」そう語るのは、カトラリーメーカー〈小林工業株式会社〉の代表・小林貞夫さんです。
「燕が“洋食器のまち”になったのは、江戸時代中ごろから連綿と続いてきた鍛冶職人たちの技の広さに白羽の矢が立ち、多くの金属加工技術が必要な洋食器産業がこの地に舞い降りたことが始まりでした。そして戦後、米軍からの依頼によるステンレス製洋食器の量産に、燕職人の技術と知恵を全て結集して成功、特需を呼び、世界から注文が殺到しました。燕通いと呼ばれるほど、多くの労働者がまちにあふれ、彼らを支える食文化が発展してきたのです」
一品一品を丁寧に仕上げる職人さんの手元を、じっと見つめる坂田さん。「普段何気なく使うカトラリーが、これほど緻密な作業の積み重ねでできているなんて……」と感嘆の面持ちです。
深夜に背脂ラーメン、宴会の締めには釜めしが定番
そんな弥彦・三条エリアの職人たちのお腹を満たしてきたのが「燕の背脂ラーメン」。そして、大きな仕事終わりに振る舞われていた一品が「釜めし」だったと小林さんは話します。
「かつては、仕事の合間の18時に夕ごはんを食べて深夜12時まで工場で働き、翌朝6時からまた工場に出てくる生活が日常でした。夜22時頃にはお腹がすいてくるので夜食が必要だった。そこで、出前で頼んでいたのが背脂ラーメンだったんです。麺は伸びないようにうどんのように太く、汁が冷めないように豚ロース肉の上側にある背脂をたっぷり入れて、さっぱりと食べられるように煮干しの出汁を効かせたものでした」
一方、仕事の打ち上げなど宴会の場で締めに食していたといわれる釜めし。四季折々の海の幸・山の幸の旨みが、お米の甘みをさらに引き立て、米どころ・新潟との相性のよさから、燕の味のひとつとして広まっていったのでしょう。締めに釜めしを食べたあと、家族へのお土産として持ち帰る習慣も徐々に浸透していったといいます。
現在、燕市内には釜めしを提供する飲食店が10店舗あり、燕市観光協会が「燕市釜飯地図」を発行するほどに。市内で初めて釜めしを提供した元祖〈釜めし 松月〉では、今も「お土産に釜めしひとつ」という注文が日常的に飛び交うんだそうです。
「お米が大好き!」という坂田さん。口に広がる優しい出汁の味わいに自然と笑みがこぼれます。
「思いのほかあっさりとしたスープに腹持ちの良い太麺の背油ラーメンも、出汁のやさしい味がきいた釜飯も、仕事後に食べたら体に染みわたる味わいだろうなと。工場を見学したあとの腹ペコで食べたので、工場の職人たちの気持ちにシンクロすることができました」(坂田さん)
独自の食文化を形成してきたこの地の食の豊かさは、工場と地元の食堂が結びつき育ててきたものでした。
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Profile 坂田阿希子
新潟県生まれ。料理家。料理教室〈studio SPOON〉を主宰。フランス菓子店や、フランス料理店での経験を重ね、独立。本格的な洋風料理から、手軽にできる家庭料理まで幅広いレパートリーをもつ。雑誌や書籍、テレビなどで活躍中。
credit text:田中瑠子 photo:ただ(ゆかい)