新潟のつかいかた

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料理家・坂田阿希子さんが巡る、
新潟「食」の旅
「古町で味わう、花街の文化」 Posted | 2020/03/06

新潟市の中心市街地にある、古町(ふるまち)エリア。ここはかつて「芸妓(げいぎ)のまち」として栄えた歴史があります。300年以上にわたり受け継がれる花街の文化を、新潟県出身の料理家・坂田阿希子さんが丸ごと味わいに出かけました。

かつて隆盛を極めた新潟・古町

函館、横浜、神戸、長崎と並び、幕末から明治時代にかけての開港5港のひとつに数えられていた「新潟湊(現在の新潟港)」。北前船の最大の寄港地として栄えたことから、明治時代には新潟県は日本一の人口を誇りました。

北前船とは、江戸時代中頃から明治30年代にかけて、大阪から北海道まで日本海回りで往復していた商船のこと。新潟からは米や酒などが売られ、西から塩、蝋、紙、鉄などが、北から鮭やニシンなどが運び込まれ、富をもたらしました。

そんな古町の繁栄した歴史は、〈旧小澤家住宅〉で垣間見ることができます。

〈旧小澤家住宅〉の塀に沿って歩く坂田さん

新潟出身でも訪れたことがなかったという坂田さん。落ち着いた黒塀の中のかつての新潟の姿に想いを馳せます。

旧小澤家住宅は、江戸後期から新潟で活躍していた商家・小澤家のかつての店舗兼住宅。小澤家は米穀商から始まり、明治期には北前船の経営で財を成した、新潟を代表する商家のひとつです。落ち着いた外観ながらも、床柱や床板など細部にわたり上質にこだわり抜いた設えは、当時の豪商の暮らしぶりを彷彿とさせます。

「新潟がお米やお酒で潤ってきたのは、今も昔も変わらないんですね。私がお米大好きに育ったのもわかる気がします」(坂田さん)

旧小澤家住宅の外観
内部では北前船で栄えた新潟湊の歴史にまつわる展示を見ることができる。
庭園
約1600平方メートルもの敷地に7棟の建造物があり、景勝地松島を模してつくられたという庭園には全国から運ばれた石が並びます。
囲炉裏のある座敷
「さりげない贅沢さに、小澤家の人々の洗練された和の粋を感じます」(坂田さん)

北前船は船主自らが商品を売買するため、寄港地の商家らにとっては、重要な商売相手。料亭料理を振る舞い、芸妓との宴を楽しみながら商談を進める夜の活気は、古町の繁栄を象徴するものでした。

このように廻船を迎えて繁栄していった古町は、京都の祇園、東京の新橋とともに日本有数の花街として知られていきました。

新潟古町の夜の街並み
かつての花街の繁栄を彷彿とさせる、古町の夜。オレンジ色の灯りが風情あるまち並みを浮かび上がらせる。

移りゆく時代のなかの芸妓

夜のまちのイメージの強い古町でしたが、時代も移り変わり、今では昼の顔も持つようになりました。〈古町柳都カフェ〉は、芸妓さんがお抹茶とお菓子やコーヒーなどを運んでくれる全国的にも珍しい空間です。芸妓さんはお稽古や夜の準備があるため、営業時間は平日13時~15時のひととき。お化粧前のお稽古着でおもてなしする芸妓さんとの触れ合いが楽しめます。

旧待合茶屋〈美や古〉の外観
新潟古町の茶屋建築の特徴的な意匠を残す、旧待合茶屋〈美や古〉。数奇屋風の建造物で、小さなお庭がかわいらしい。
芸妓さんの写真が飾られている
明治20年頃には最大400人いたといわれる芸妓さんも、現在25人まで減っている。

おもてなししてくれるのは、〈柳都振興株式会社〉所属の芸妓さん。柳都振興は、古町芸妓の伝統をつなげていこうと、1987年に地元企業の出資によって誕生した全国初の芸妓養成会社です。

お稽古着と普段のメイク姿の芸妓さん
お稽古着と普段のメイク姿の芸妓さんに会えるのは、全国を見渡しても例がありません。

芸妓さんの唄や踊りは、新潟市無形文化財の日本舞踏市山流の稽古によって磨かれるといい、「市山流のお師匠さんから稽古をつけていただけるなんて、本当に恵まれています」と芸妓さんも話します。

お茶を供してくれる芸妓さん
お客様を「兄様(あにさま)」「姉様(あねさま)」と呼ぶ独自の文化がある。

芸妓さんの優美な仕草に、目を奪われていた坂田さん。
「部屋を出る時も、お客様に背を向けずに扉を開閉する身ぶりなど、自分のお店運営においても勉強になることがたくさん。歴史ある花街で脈々と継がれている所作ひとつひとつに、おもてなしの心を感じました」

カフェを出ると、稽古が始まった2階から三味線の音が聴こえてきました。料理屋、待合、置屋の三業建築の合間をそぞろ歩きをしながら、三味線の淡い音色に耳を澄ます。古町にしかない景色があります。

〈鍋茶屋〉

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設えに魅了される


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