豊かな土壌と乾燥して澄んだ空気が多品目の野菜や果物を育む、新潟県弥彦・三条エリア。アスパラガスと枝豆を育てている〈飯塚農園〉は、新潟県内の飲食店を中心に、直売所や市場などに出荷する専業農家です。「この地で育てた野菜を、この地の人に食べてもらいたい」と情熱を燃やす園主の飯塚英晃さんに、新潟県出身の料理家・坂田阿希子さんが会いにいきました。
背水の陣でつくったアスパラガス畑
「料理人の喜ぶ顔が見たいんです」
アスパラガス畑を案内しながら、飯塚さんが笑います。
「料理人ってね、見たこともない食材やおいしい野菜に出会うと、新しいおもちゃを買ってもらった子どものような表情を見せるんです。その顔が見たくてね。おいしかった、というひと言がほしいから、野菜づくりはやめられません」
農業大学校を卒業後、祖母から畑を継いで農家になったという飯塚さん。継いだ当時は枝豆しかつくっていなかったところ、県の職員からアスパラガス栽培を進められ、軽い気持ちで始めたのが今につながっているといいます。
「三条エリアの土壌は粘土質で、水分と養分を安定的にしっかりつかんでくれる、野菜栽培に適した地だといわれています。新潟県の下田村(現三条市)という同じ粘土質の地域では、昔からホワイトアスパラガスを栽培していたという話もあった。きっと相性がいいんだろうと16年前に始めてみたんです。でも、農薬の使い方も土づくりもすべてがいい加減で、8年目に全滅に……。経営不可能な状態に陥ってしまいました」
自信を失っていた飯塚さんが、もう一度アスパラガスに取り組もうと思ったのは、農家仲間から背中を押されたから。
「アスパラガスをつくっていた仲間に、技術を全部あげるからまたやってくれと2年間説得され、背水の陣でつくったのが今のアスパラガス畑です。これがダメだったら農業をやめようと、朝から晩まで、どんな天気でも畑に行って必死で育てました」
軌道に乗ってきたところで、自分なりのアスパラガスができなければ意味がないと考え直し、たい肥に自家培養した菌を混ぜた土壌づくりや、農薬を限りなく制限したオリジナルの栽培方法を確立していったそうです。
まるで竹林のようなアスパラガス畑で、採れたてのアスパラガスを坂田さんが食します。
「サトウキビのような甘みと瑞々しさ、野菜の持つ苦みとのバランスがいい。どう料理しようか、想像がふくらみますね」と自然と笑顔に。
料理人とのつながりを大事にする
飯塚さんが農業を継いだ当時、地域の生産者と料理人がタッグを組むカルチャーはなかったそう。
「こんな野菜ができたので、使っていただけますか」と飲食店に営業にいっても門前払いされることも多かったといいます。そんななか、〈イルリポーゾ〉のシェフ・原田さんとの出会いから立ち上げた〈イタリア野菜研究会〉が、生産者と料理人の関係を変えるひとつのきっかけになったと話します。
「イルリポーゾができた翌年の2011年に立ち上げ、当初のメンバーは10人くらい。最初は料理人からリクエストされたロメインレタスづくりからスタートし、見たこともないようなイタリア野菜にたくさん挑戦しました」
正解がわからないなか、できた野菜を持っていくと、うれしそうに調理法を考えるシェフたち。その姿に勇気づけられて、野菜づくりのモチベーションが引き出されていったといいます。
「自分がつくった野菜が、旨みが最大限に引き出されたひと皿へと変わっていく。それが本当にうれしかったですね」
その後、調理の様子をじっと観察したり自分たちでおいしい食べ方を研究し、今度は和食料理屋さんにも持っていくように。「イタリアンレストランではこんな調理をしています。和食でしたら、こんな食べ方をしてみたらおいしいのでは」と提案して回ったのです。
飯塚さんの行動力に驚きつつ、「そんな風に農家さんから直接、丹精込めて育てた野菜を提案されたら、その野菜のおいしさを引き出すレシピを考えたい。そう考えるようになるのはシェフとして必然な気がします。私も使いたい!」と坂田さん。
「見たこともない野菜ですから断られることもたくさんありましたが、中にはおもしろがって使っていただくお店も出てくる。こうして、少しずつ、農家から直接食材を買いつけるスタイルが広がっていきました」(飯塚さん)
志を持った者が生み出す、地産地消のカルチャー
飯塚農園では、今後はイタリアで行われている栽培法「埋没式」に挑戦し、さらに旨みが増したアスパラガス収穫を目指すといいます。
「ホワイトアスパラガス、紫アスパラガスもぜひ食べたい! 旬を迎える春にまた食べに来ますね」と坂田さんも期待を膨らませます。
「味に敏感なシェフたちに、自分のつくった産品がどのように評価されるかを知り、今の自分の立ち位置の確認をしたいんです。坂田さんの感想もぜひ聞きたいですね」(飯塚さん)
ここ5~6年で、弥彦・三条エリアにはイタリアンやフレンチをはじめ、ローカル・ガストロノミーを意識したレストランが増えています。
「原田シェフをはじめ、東京から新潟に戻ってきた料理人たちが、新潟食材の豊かさにあらためて注目し生かそうとしている。その先駆者たちの背中を見て、同じ志を持った者同士のつながりがどんどん広がっています」(飯塚さん)
愚直にものづくりをやっていこうという志は、料理人や食材の生産者だけでなく、このエリアを支えてきたカトラリーや食器類など工場の職人たちの歴史も強く影響しているのではないでしょうか。
「シェフと地元の農家がつながっていくことって、簡単なようで実はなかなかできないこと。それぞれ自分の仕事をやりながら、お互い要望もありますしね。それを当たり前のように実践していることが、このエリアのすごいところだなと、あらためて感じました」と旅を振り返る坂田さん。
工場の職人と料理人、生産者、その3者が有機的につながり生み出してきた独自の食文化。この土地だからこそ、地産地消のカルチャーはますます強くなっていくに違いありません。
Profile 坂田阿希子
新潟県生まれ。料理家。料理教室〈studio SPOON〉を主宰。フランス菓子店や、フランス料理店での経験を重ね、独立。本格的な洋風料理から、手軽にできる家庭料理まで幅広いレパートリーをもつ。雑誌や書籍、テレビなどで活躍中。
credit text:田中瑠子 photo:ただ(ゆかい)