会社員からビール醸造家へ
高木さんは2011年10月、地域おこし協力隊の制度を利用して東京から十日町市に移住しました。
「ここは両親の故郷。小さい頃はもちろん、大人になってからもよく遊びに来ていた、大好きな土地なんです」
東京ではシステム開発を手がけるIT企業のグループ会社で、主にコールセンターの立ち上げや管理を担当。十日町市で、ビール醸造家として起業するとは夢にも思っていなかったと当時を振り返ります。
「移住してから自分に何ができるか探してみようと思っていました。協力隊としての任務は、集落の人たちが育てた野菜を市内の飲食店や福祉施設などに購入してもらい、地域内でお金を回すという取り組み。退任後は、今度は自分が野菜を買う立場になろうと、2014年に仲間4人とお金を出し合い、地産地消をテーマにしたビアレストランを開きました」
レストランでは地元客のために国内のさまざまなクラフトビールを揃えていたそうですが、遠方からの観光客が増えるに従って「十日町市産のビールはないの?」と聞かれるように。
「その言葉がきっかけで、どうやったらビールをつくることができるのだろうと考えるようになりました。十日町市は〈松乃井酒造場〉と〈魚沼酒造〉という、歴史ある酒蔵があることからもわかるように、上質な水が手に入る土地。ビールも水が大切なので、ポテンシャルがあるんじゃないかと思ったんです」
さっそくリサーチを開始した高木さん。しかし、調べれば調べるほど壁は高く、醸造家への夢はいったんお蔵入りに。
「そんななか、前職の上司から資金援助の話をいただいたんです。これが大きな後押しとなりました。とはいえ、事業者の4割がトントンか赤字といわれる、利益を出すのが難しい業界。プレッシャーは大きかったです」
技術面では、クラフトビール業界のオープンな気風に助けられたそう。
「この業界は、みんなで情報を交換し、助け合いながら、日本のクラフトビールを盛り上げていこうという意識がとても高いんです。私はビール醸造家の丹羽智(にわさとし)さんのもとで2か月間、勉強させてもらいました」
そして2018年に醸造所をオープン。現在は5名のアルバイトスタッフの手を借りながら、醸造、ホップ栽培、事務仕事、営業など、すべての仕事をこなします。定休日もビールの様子を見るために醸造所へ。
「ビールって生き物なので、醸造スケジュールはあってないようなもの。発酵が早く進むときもあれば、遅いときもあり、その都度、臨機応変に対応する力が試されます。最初は予定どおりいかないことにもどかしさを感じていましたが『ビールの声を聞かないと、おいしくならない』ということに気づいてからは、働き方を変えました」
それからは常にビールの声に耳を傾け、365日ビールのことを考えているといいます。
「周りから『休みがなくて大変ね』って言われるんですけど、おいしいビールにするためなので、まったく気になりません。ワーク・ライフ・バランスという言葉がありますが、私の場合は、ライフとワークがひとつ。自宅でも試飲と称して、いろいろなクラフトビールを飲んでいます(笑)」
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