107年の歴史を持つ映画館と、高田のまち
雁木(がんぎ)と呼ばれる雪よけの庇がついた通路が全長16キロにも及び、風情ある景観が残る新潟県上越市高田。その高田のメインストリートには、かつて「白亜の大劇場」と呼ばれた、日本最古級の映画館〈高田世界館〉があります。
1911年に「芝居小屋 高田座」として開業。当時このエリアには遊郭も多く、芝居小屋も5、6軒存在し、歓楽街として賑わっていました。その名残か、高田のまちの一角には、いまも数多の飲食店が軒を連ねています。
芝居小屋としてスタートした高田座でしたが、ほどなくして世界的な映画ブームが到来。その流れを受け、開業5年後には芝居小屋から映画館へと方針を転換しました。
しかし、時代や経済の影響をダイレクトに受ける映画館。まちに活気がなくなれば、おのずと映画を観に来る客も減少。高田世界館も隆盛しては落ち込み、あるときは成人映画館となり、何度も所有者が変わり、紆余曲折を経てきました。
2000年代には高田世界館での上映頻度も激減。存在さえ忘れ去られたかのような場所となっていましたが、2009年以降、この映画館は息を吹きかえすことになるのです。
上野さんと高田世界館の出合い
現在、この映画館をとり仕切るのは、高田出身で、首都圏からUターンした若き支配人・上野迪音(みちなり)さん。
「閉館しそうになった高田世界館に、少数の市民が『待った』をかけたんです。実は2000年頃から、この場所をどうにか活用しようという動きがあって、イベントなどを単発的にやっていたんです。その後NPO法人〈街なか映画館再生委員会〉が立ち上がり、映画館が譲渡されたのが2009年でした」
その頃、上野さんは、横浜の大学で映画評論のゼミを専攻。高田世界館の復活や、NPOの立ち上げには携わっていませんが、とあることがきっかけで地元高田で映画の自主上映会を企画することに。そのイベントの開催場所が高田世界館でした。
「僕が大学生のときに映画館の保存の波がきて、NPOの体制に変わったんです。いまは映画館の支配人をしていますが、僕自身、映画でまちおこしをしたいわけではなかったんです。むしろ僕は、高田の町家と、まちづくりに興味を持っていて」
映画の自主上映会をきっかけに、NPOメンバーと関わっていくうちに、自身のやりたかったこととNPOの活動がリンクすることに気づいた上野さん。このまちに介入しようと決意し、2014年から高田世界館の支配人として、映画館の運営、映画のセレクト、ブッキング、もぎり、イベント企画と、映画館のあらゆる業務を担っています。
映写室には古い映写機が2台。デジタル設備も導入しましたが、現在も映写機を使ったフィルム上映を行っています。
構造が目に見えるフィルム映写機は、万が一、上映中にトラブルが起こっても、現場レベルで対処できるのがよさなのだとか。ただし、機器が古い分トラブルはつきもので、常に細心の注意を払う必要があるといいます。
「以前、フィルムの回転を支える動力ベルトが上映中に切れたことがありました。手で動力部分を回しながら、ふたりがかりでなんとか切り抜けて……。だからフィルム上映のときは、神頼みすることもありますね(笑)」
映写室には、古くて小さな神棚が。歴代の映写技師も、無事に上映が終えられるよう、毎日神頼みしていたのかも知れません。