田舎にはお金を介さない経済がある
高木さんが十日町市への移住を決めたきっかけは、2011年の東日本大震災でした。
「震災直後、東京では物資の買い占め騒動が起こり、混乱状態でした。農作物を自分たちでつくっている田舎では助け合うことができるのに、東京では奪い合いになる。その状況を目の当たりにしたとき、都会生活の脆弱さを痛感したんです。また同じ頃、父が他界し、故郷である十日町市にお墓をつくることに。そんな事情も重なって、移住を決断しました」
転勤族の家庭に育った高木さんにとって、両親の実家がある十日町市はふるさとのような存在。
「ここは、小さい頃のいい思い出が詰まった場所なんです。豪雪地帯なので、冬は屋根の雪ですべり台をつくったり、かまくらの中でストーブを焚いてお餅を焼いて食べたり。夏は畑に連れて行ってもらうのが好きでした。もぎたてのきゅうりやトマトにかぶりつくおいしさといったら! そのときの味って、ずっと忘れないんですよね」
移住して12年。実際の暮らしはどうなのでしょうか。
「当初は人脈づくりに苦労しました。でも、地域おこし協力隊の肩書きのおかげで、会ってくれる人が少しずつ増えていきました。いまの生活は、協力隊と、レストランを経営していた頃の人脈がベースになっています」
現在はすっかり地域に溶け込んでいる高木さん。ここでの暮らしは想像以上に豊かだと顔をほころばせます。
「つい先日は、醸造所の前に、箱いっぱいのとうもろこしが置いてありました。名前が書かれていなかったのですが、誰からなのか察しがつくので、すぐにお礼の電話をして『箱にちゃんと名前書いといてよ!』って(笑)。
そのほかにも、春は山菜、秋は白菜や米袋いっぱいのネギなど、いろんな方から常に何かが届きます。それってすごく贅沢じゃないですか。東京にいた頃、食べ物を分けてもらうなんてことありませんでした。ここにはお金を介さない豊かな暮らしがあるんです」
高木さんの夢は、妻有ビールを越後妻有に100年以上続く“ビール蔵”にすること。
「いまは地域の人たちに助けられてばかりなので、ビールで恩返しできたらと考えています。老舗の酒蔵のように、地域に愛され、貢献できる存在になりたいですね。でもこれはすごく大きな夢。もう少し小さな目標は、このビールを海外に出すこと。簡単な話ではありませんが、チャンスを狙っていきたいです」
何よりも人とのつながりを大切にし、明るく前向きに奮闘し続ける高木さん。現在も精力的に活動し、着々とファンを増やしています。着物柄のラベルをつけた妻有ビールを海外で見かける日も近いかもしれません。
Profile 高木千歩
1973年新潟県生まれ。幼少期は父親の転勤のため全国各地で過ごし、大学卒業後は都内にあるシステム開発を手がけるIT企業のグループ会社に就職。2011年、地域おこし協力隊として、両親の生まれ故郷である十日町市に移住。退任後は共同経営者らとともに地産地消をテーマにしたビアレストランを開く。2018年〈妻有ビール株式会社〉設立。
Information
【妻有ビール】
web:妻有ビール Webショップ Facebook Instagram
credit text:矢島容代 photo:ただ(ゆかい)