文・角田光代
新しいスタートを切った〈重寿し〉と〈加賀の井酒造〉
糸魚川にいったことはなくてもその地名は知っている。2016年の12月、30時間も続いた大きな火災のニュースは、テレビで見ていただけの私の記憶からも、なかなか消えない。木造住宅や木造の商店が密集する駅近くで起きた火災は、この地域特有の強風によって日本海のほうまで飛び火し、まちをまるまる焼き尽くした。
ちらほらと雪の降る日、糸魚川に降り立った。はじめて足を踏み入れる場所だから、火災前と今とがどんなふうに違うのかわからないけれど、やはり建っている民家や商店が軒並みあたらしく、再建途中なのだということはわかる。古くから残る家の壁には、火災跡だと思われる黒ずみも残っている。
海まで歩いてみると、ここまで火が飛んできたのか、とあらためて驚く。駅前から海まではけっこうな距離があるのだ。海沿いも、やっぱり整備された空き地が多く、ぽつりぽつりとあるのはまあたらしい建物ばかり。
そんななか、もともとあった場所で再開をはじめた店舗もある。たとえば〈重寿し〉。昼食をとりに立ち寄ってみると、建ったばかりのような店舗はほぼ満席。入り口や店内にお酒やお花がずらりと並ぶ。みな、もとの場所での再オープンを祝う常連客からのものだ。その数を見て、どれほどこのおすし屋さんが愛されているかがわかる。
メニュウに「地魚にぎり」を見つけて、それを注文する。その日の漁によって内容は異なるという。今日のにぎりは、ヒラメ、タイ、イカ、甘エビとともに、ホウボウ、カサゴ、松ガレイ、バイ貝と、めずらしい魚介が並ぶ。ぱっと見ると白身の魚ばかりという印象なのだが、食べると、おいしいだけでなく、淡泊なもの、甘みのあるもの、うまみのあるもの、歯ごたえのあるものとそれぞれに違いが楽しめる。
昭和32年創業の重寿しは、地元の人ばかりでなく、東京、大阪、長野などからわざわざお客さんが足を運ぶ人気店であるが、大火で店舗と家を失った。火災の1か月後に300メートル離れた場所で仮設店舗をオープンさせた。2018年9月に仮設店舗を閉め、11月からこの新店舗で営業をはじめている。
この重寿しのすぐそばに、〈加賀の井酒造〉がある。1650年創業の、新潟県内でも老舗の酒造会社である。こちらも大火で酒蔵と店舗を失った。2018年3月、もともとあった場所に酒蔵が完成し、今では新しい蔵で仕込まれた日本酒も流通している。
生まれたころから当然のようにあった蔵がなくなるなんて想像もしなかった、と話す蔵元の小林大祐さんは、大火の翌日から再建に向けて動いたのだという。今までの酒造りを学びなおし、改良点を考え抜いてあたらしい蔵造りに活かした。火事があったからこそ過去を学ぶことができた、未来にいくには過去を学ばねばならない、とまったく気負いなく話す、まだ若い小林さんの言葉に胸打たれた。
今現在は、外からも見学できる酒蔵があるのみで、店舗はないけれど、将来的に販売スペースも作りたいと小林さんは思っている。とはいえ、糸魚川を代表する日本酒である〈加賀の井〉は、多くの酒屋さんで売っているし、飲食店でも飲むことができる。〈大吟醸 加賀の井〉は、辛口ながら、うまみのある、じつに日本酒らしい日本酒である。
この加賀の井酒造の敷地内に、古い蔵がある。酒蔵ではなくて、古い民家の庭で見かけたりする漆喰の土蔵だ。糸魚川は、昭和7年にも380棟が被害を受けた大火が起きているが、なんとこの蔵は、そのときと2016年、二つの大火に遭いながらも燃えずに残っているのだという。そのことに感動して、つい漆喰の壁を撫でさすってしまった。
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