創業は江戸時代!「寺泊山田の曲物」最後の1軒
お弁当箱や調理器具など、さまざまな形で愛される「曲げわっぱ」。いつもよりごはんが美味しく感じられたり、ほんのりと漂う木の香りに癒されたり。軽くて、丈夫で、使えば使うほど愛着が湧いていく、暮らしのなかに息づく伝統工芸品です。
新潟県で曲げ物の生産地として栄えた海沿いの集落「寺泊山田(てらどまりやまだ)」は、古くから「ふるい」づくりが盛んだったそう。文献によれば、江戸時代の1842(天保13)年にはすでにふるいの組合があったとか。
その後、1982(昭和57)年に貴重な技術が認められ、新潟県長岡市の無形文化財に指定されました。そんなこの地で、ふるいをつくり続けている最後の1軒が〈足立茂久商店〉です。
現在は11代目・足立照久さんが家業を盛り立て、ふるい、せいろ、裏漉しといった曲げ物を昔ながらの製法でつくっています。
んっ? 足立の曲げ物? と、ピンと来た方は情報通。実はこの〈足立茂久商店〉、電子レンジで気軽にあたためられる画期的な〈わっぱせいろ〉を考案し、一般家庭にも曲げわっぱの楽しみを知らしめた人気店なのです。
かねて全国の菓子店や割烹で愛用され、さらには〈わっぱせいろ〉のヒットもあって、今や大忙しの〈足立茂久商店〉。具体的にはどんな曲げ物をつくっているの? 曲げ物の魅力って? せいろを電子レンジにかけても平気な理由とは? 秘密を探るべく、工房にお邪魔しました。
古墳からも出土!? ミステリアスな新潟の曲げ物
トントントン。工房の扉をくぐると、中から木を叩く音が聞こえてきます。爽やかなヒノキの香りにつられて進むと、工房内は見渡す限りの曲げわっぱの山でした。
「この地域で曲げ物が盛んになった理由は、実はよくわかっていません。漁業や農業がシーズンオフになる冬の生業として曲げ物づくりが発展したとされていますが、いつから始まったのかも不明です。実は、近所にある『山田郷内遺跡』などからも曲げ物が発見されているんですよ」と、足立さん。
このあたりは海路だけでなく、北国街道という陸路も通っており、古くから人の往来が盛んだったとか。曲げ物の技術はもしかすると古代から伝わっていたのかもしれないと足立さんは推測します。
母親の道子さんも「私がお嫁に来た50年前は、この集落で曲げわっぱをつくる家が11〜12軒あったんです。みんな田んぼや畑、漁をしながら、曲げ物づくりに携わっていました」と頷きます。
まさにこの足立家も、お米をつくりながら工芸品に携わる“半農・半曲げ”のおうちだったそう。時代とともに1軒、また1軒と減り、今はこの〈足立茂久商店〉を残すのみとなりました。
意外な場所でも大活躍! オーダーメイドの伝統工芸
この日、足立さんが手がけていたものがこちら。あれ、ずいぶん目が粗いですね?
「これは、道路工事の舗装をするための『ふるい』です」
えっ、道路工事!?
「そう。道路を舗装するときって200度くらいの熱したアスファルトをふるいにかけるのですが、金属製だと革製の耐熱手袋をしても熱いんだそうです。その点、木製のふるいなら熱を伝えにくく、安全に使えるとのことで、もう長くご注文をいただいています」
キッチンでの用途がメインかと思いきや、意外なところでも活躍していたんですね。
〈足立茂久商店〉の2階を見せてもらうと、目の細かさや素材が異なるたくさんの金網がずらり。顧客の要望に沿って、適した網を選んで張るといいます。
「この網は真鍮です。例えば、お菓子づくりで使うふるいはステンレス製が多いのですが、どうしても静電気が起きやすく、せっかくふるいにかけて揃えた粒子がまたダマになってしまうとか。その点、真鍮の網なら静電気が起きにくいため、それがない。こうした網の素材はもちろん、目の細かさ、全体のサイズに至るまで、目的に合わせた道具をつくっています」
まさに、至れり尽くせりのオーダーメイド。ゆえに、花火師さんは火薬の粉を通し、鋳物屋さんは砂を通し、表具師さんは糊を漉すなど、足立さんの曲げ物は幅広い分野で使われています。
「ひとつひとつ材料を選んでつくらなければならないので、大変と言えば大変です。でも、苦にはなりません。『いい道具があってよかった!』と言ってもらえることがうれしいのです」