製品を手に取る人の顔が見える、ものづくりを目指して
加茂市で〈小栁メリヤス〉として縫製業を営む一家に生まれた小栁さん。しかし〈G.F.G.S.〉を立ち上げるまでは会社勤めをしていました。
「両親からは『大変だし、儲からないから会社を継ぐな』と言われていたんです。一度はサラリーマンになったものの会社がつぶれてしまったので、手に職をつけようと刃物メーカーに入社してハサミ職人をずっとやっていたんです」と小柳さん。
「でも洋服はもともと好きだったので、20代の頃からシルクスクリーンでオリジナルのTシャツをつくっていて。それを着て悦に入っていた時代が、ずっと長かったですね」
平日は刃物メーカーに勤務し、週末はTシャツづくりの実験を繰り返していた小栁さんですが、そこで芽生えたのが、買う人の顔が見えるものづくりをしたいという想いでした。
「大きな会社で毎日同じハサミを600丁以上つくっていたのですが、大量につくるから売れ残りも出るし、『これをどんな人が買うんだろう?』と思いながら作業をしていました。当時はネット通販もなかったので、商社や問屋さんがすべてをコントロールしている時代。同じハサミなのにお店によって違う値段で売られているとか、ちょっと疑問に感じることもあったんです。そんな環境で仕事をするうちに、お客さんの顔を見て、直接やりとりできる販売のかたちを求めるようになりました」
同じ頃、ショップを営む友人にTシャツをお店に置かないかと声をかけられた小栁さん。販売を始めてみたところ、新潟県内のメディアに取り上げられ、たちまちラジオやテレビからも出演依頼を受ける話題の存在に。
「しかしあるとき、社長に『有給で休んだ日、ラジオに出ていなかったか?』と問い詰められてしまって(苦笑)。もう覚悟はできていたので、会社を辞めて個人事業主として活動することにしました。今から10年くらい前のことですね」
当時はボーダーシャツに特化するかたちは考えていなかったという小栁さん。理想の生地づくりを模索するなかでオーガニックコットンと出合い、その風合いの虜になったのだそう。
「全然健康的とはいえない荒れた生活をしていたので、最初はオーガニックコットンがどんな性質なのか知らなくて(笑)。でもサンプルをつくってみたら、ものすごく着心地の良いものができたんですよ。そこからこだわりながらプロトタイプをつくるなかで生地の色も増えていき、『ボーダーだったらさまざまな色の組み合わせができるな』と考えるようになり『もうボーダーの受注生産にしよう!』となりました」
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喜んでもらえることを目指して 】