食の知恵、地域の知恵を五感で感じる〈雪国ガストロノミー〉
2005年のリニューアルをきっかけに、宿全体を通して魚沼という地域固有の文化を伝えようとさまざまに試みてきた〈HATAGO井仙〉ですが、近年はより深く、新潟の食文化を伝えていくために〈雪国ガストロノミー〉を企画しています。
「〈雪国ガストロノミー〉とは魚沼で長く受け継がれてきた食の知恵、地域の知恵を五感で感じるものだと思っています。その前提のもと、春と秋にはきのこや山菜を収穫するツアーを、また、宿泊されるお客向けに〈HATAGO井仙〉のメインダイニングである〈むらんごっつぉ〉でのキッチンツアーを行っているんです」
そう語るのは、〈HATAGO井仙〉のゼネラルマネージャーであり、収穫ツアーのプランニングとガイドも務めている小野塚敏之さん。生まれも育ちも魚沼の小野塚さんは、幼い頃から祖母と一緒に山でよくきのこや山菜狩りをする毎日を送っていたんだとか。今でも趣味といえば、山遊び川遊び。魚沼の自然生態系にも詳しく、すべては遊びながら学んでいったと話します。
「越後湯沢の山は土山ではなく岩山なんです。岩盤があるからこそ、雪解け水が直に川の中に入ってきます。その透き通った水によって春は川が潤おうので、生物もまたみずみずしく育っていく。こんな風に魚沼の食の背景にある物語を知っていただくと見えている世界が広がりますし、ここで過ごす時間がより楽しくなると思いませんか?
そしてそのためには何よりみなさんに実際に体験していただくのが一番いい。私は収穫ツアーを通して自然の中のワクワクを多くの人にお伝えしたいんです」
収穫した山の幸は桑名宣晃料理長へと託され、そのとれたてを調理して、最終的にはお客様のテーブルへと運ばれます。四季折々、いつ何がとれて、どんな料理にするのかといったふたりによる作戦は「もう阿吽の呼吸ですよ」と、小野塚さんは笑います。
そこで私たちも実際に桑名料理長のもとでキッチンツアーを体験することに。やはりここでも水の重要性が話題にあがりました。
「当店は和食のお店。毎日昆布と鰹節で出汁を引きますが、そのとき使う水は地下1400メートルから湧出する、湯沢のアルカリ天然温泉水です。温泉水を使う理由はやはりここが温泉地であるということはもちろん、ph(ペーハー)が8.9と高めの軟水であることが一番の理由です。というのも軟水は食材の旨みを引き出してくれるんです」
そう解説してくれる桑名料理長は東京の割烹で修業したあと、新潟の旅館の料理長として勤務。2009年に〈むらんごっつぉ〉の料理長となり、以来雪国の食文化を探求してきました。
「早春から晩秋にかけて採取した山の恵みを塩漬けや乾燥品、発酵食として蓄える雪国の食文化は世界に誇れるもの。その食文化の基盤にあるものは、やはり雪。雪があってこその営みなんです」
滋味深い出汁、たっぷりとした肉厚のあるきのこ……。その後、私たちはキッチンツアーで味見した食材が実際に提供される〈雪国ガストロノミーフルコース〉を堪能しました。ちなみに井仙の宿泊には、1泊朝食付の“にいがた朝ごはん”が基本。これに夕食を〈雪国ガストロノミーフルコース〉を中心に、アップグレードした“プレミアムコース”、食事の量を控えた“セミコース”の3つから選びます。
私たちがいただいた〈雪国ガストロノミーフルコース〉(8000円)は、魚沼の食材を使いながら、その時期にしか味わえない素材そのものの味を楽しむ和食コースで、先付から魚料理、肉料理、ご飯、デザートなど計8品が並びました。その一部がこちら。
「冬、早春、新緑、夏、秋。〈雪国ガストロノミーフルコース〉は年に5回メニューが変わりますが、本日お出ししたのは秋の味覚です。これが冬になると雪国ならではの保存食がメインになります。また残雪が残る早春は、保存と芽吹きが共存する時期で、雪下にんじんや山菜がおいしい季節になります。そしてその名の通り新緑は緑豊かな食材が並び、夏は夏野菜がとても豊富に収穫されるので、それをふんだんに使ったメニューをお出ししています」
フロアマネージャーの萩野翔さんによる丁寧な料理解説を聞きながら、料理を引き立てるお皿の美しさにも目を留めていると、「実はこのお皿で雪の旅をイメージしているんですよ」と萩野さん。
「山に降り積もった雪が溶けて、その水は里に流れて、最後に行き着くのは海。なので熟成ローストを乗せたメイン皿は、青い海をイメージしているんです。雪山や流木をイメージしたお皿もありましたし、それがどのメニューのお皿にあたるか、ぜひまずは想像してみてください」
〈雪国ガストロノミー〉とは五感で感じるもの。まさに小野塚さんの言っていた意味を体感するような時間を過ごしつつ、最後に秋の味覚をパティシエがアレンジしたディナーだけの特別スイーツをいただきました。
小野塚さんは言います。
「見渡せばこの魚沼には宝が無数にある。私たちの使命はその魚沼の宝と人をつなげて、みんなで盛り上がることなんです」
宿の概念が変わるような食体験ができる、〈HATAGO井仙〉。この旅籠でのひとときは、これからも魚沼の風景を変えていきます。
Information
credit text:水島七恵 photo:ただ(ゆかい)