新潟のつかいかた

spot-utsuwa-001-paged2

多彩な色使いだからこそ
どんな料理も美しく映える!
普段使いしたい〈falaj〉のうつわ | Page 2 Posted | 2020/07/15

異なる環境で学んだガラスの技術が見事にフュージョン(融合)!

新潟県上越市生まれの丸山慎二郎さんと、長野県生まれの淳代さん。ふたりが〈falaj〉を立ち上げたのは2010年。異なる環境、異なる経歴でガラスを学んできたふたりが出会ったのは、地元情報誌に掲載された淳代さんのインタビュー記事でした。

作業中の丸山慎二郎さん
淳代さんの母親が営むブティックの奥を壁で仕切って、アトリエにしています。現在のブティックには、洋服と一緒に〈falaj〉の作品も販売されています。

上越の造り酒屋に生まれた慎二郎さん。周囲に陶芸家や芸術家などが多く、子どもの頃から工芸品などに触れる機会が多かったそう。その影響もあり、自然と美術の道に。

「高校卒業と同時にヴェネチアのムラーノ島にガラスを学びに行ったんです。10万円と3か月後の帰りのチケットだけ握りしめて。思春期ゆえの刹那的なものに憧れる感覚があったんでしょうね(笑)。ツテなんてまったくなかったし、イタリア語もわからなかったので、とにかく働かせてもらえる工房を探そうって。で、〈Palazzo del Vetro〉という工房を見つけ、住み込みで働かせてもらうことになりました」(慎二郎さん)

慎二郎さん
「ホントは中学卒業したら行こうと思っていたんですが、高校だけは行ったほうがいい、と中学の国語の先生に止められて(笑)。その通りでしたね、感謝してます」

ヴェネチアで数々のマエストロ(師匠)に師事し、帰国後は東京都にあるデザイン専門学校「ICSカレッジオブアーツ」に入学。それと並行して都内のガラス工房で「バーナーワーク」といった技術を学んだ慎二郎さん。

一方、淳代さんは都内の大学で文学を専攻。ガラスとは無縁の生活を送っていました。

「卒業後の進路が決まらずモヤモヤしていた頃、たまたま母がテレビでステンドグラスの特集を見かけて……。ステンドグラスっていいわねぇって話を持ちかけてきたんですよ。当時、渋谷に1校だけステンドグラスの学校があって、就職したくないと思っていた私は大学を卒業したあと、勢いで入学したんです。それまでステンドグラスに興味なんてなかったんですが、在学生たちに刺激され、必死で学ぶうちにあっという間に2年が過ぎました」(淳代さん)

淳代さん
ステンドグラスの学校で、絵付けやカッティングなどガラスについての基礎的な技法を学んできた淳代さん。
まっすぐに切れたガラス
ガラスがまっすぐに切れていないと、ガラスの接合部に曲がりやゆがみが生まれてしまう。学校で得た高度な技術と知識が〈falaj〉の土台を支えています。

淳代さんが東京で勉学に励む間、両親は長野から上越市に引っ越し、母がブティックを開業。新たな実家となった上越の地で、淳代さんはステンドグラス工房〈天(ten.)〉を設立し、ステンドグラスやフュージングの技法を用いて、パネルやオブジェなどの制作に携わり始めた。そんな淳代さんの活動が地元情報誌に掲載され、たまたま帰省中だった慎二郎さんがその記事を見つけて、淳代さんのもとを訪ねてきたそうです。そしてふたりは〈falaj〉を設立。

作業中のおふたり
ふたりとも穏やかで、まとう空気感は一緒。淳代さんはこのアトリエで、ステンドグラスの教室も主催しています。

慎二郎さんが本場ヴェネチアの地で学んできた独創性と細やかな技術、そして、淳代さんがステンドグラスを通じて培った高度で正確なガラスを扱う技術。ふたりの経験と感性が見事に融合し、独創的でありながら繊細で美しい〈falaj〉の作品は生まれているのです。

アクセサリー入れとして器を使う

次のページ:ふたりの日常使いを
見せていただきました


次のページへ →