新潟のつかいかた

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世界の関心は
「もの」から「ものづくりの現場」へ。
工場をひらく金属加工のまち・燕三条 | Page 2 Posted | 2025/12/26

世界各国が参加した
「燕三条クラフトマンシップ」イベント

2025年10月22日、東京・銀座にある新潟のアンテナショップ〈THE NIIGATA〉で、「技を磨き、心を打つ ~燕三条のクラフトマンシップ~」をテーマに、燕三条のものづくりを海外メディアに向けて発信するイベントが開催されました。

燕三条で活動するプロデューサーや職人を招いたトーク、職人による金属加工の実演、新潟全域のものづくりをPRする展示などを実施。アメリカ、イタリア、ロシア、韓国など、欧米やアジア各国のメディアや大使館が参加しました。

イベント『世界が認めるものづくりの聖地-新潟県燕三条』でコメントする花角知事
イベント会場には、花角英世新潟県知事も駆けつけ、来場した海外メディアへ「燕三条の魅力は製品だけでなく、そこで活動する人たちの精神にもある」と、職人ひとりひとりのプライドや探求心、情熱のなかでものづくりが行われていることを熱く語りました。

トークの進行は、燕三条を拠点に地域支援・地域活性・地域教育などを行うソーシャルデザイン企業〈株式会社MGNET〉の代表・武田修美さん。

ゲストとして登壇したのは、かねてより海外展開を繰り広げ、燕三条のクラフトマンシップを発信してきた2社。うち1社は、燕市で200年にわたり銅器を製作してきた〈株式会社玉川堂〉。その番頭を務める山田 立さんが登壇しました。

〈玉川堂〉番頭の山田立さん
〈玉川堂〉の営業・企画全般を担当する、番頭の山田 立さん。

〈玉川堂〉の海外展開の歴史は古く、1873年に日本が初めて公式参加したウィーン万国博覧会には銅器を出品。さらに1926年にアメリカで行われた万博では最高賞を受賞するなど、150年も前から海外へのアプローチを行い、その技術を世界に知らしめてきました。

現在も、1枚の銅板から胴体と注ぎ口を継ぎ目なしで製作する「口打出(くちうちだし)」という技術によって製作される湯沸かしや、着色の経年変化が楽しめる茶器、酒器、テーブルウェアなどは海外でも評価が高く、一生ものとして買い求める人も多いといいます。

「口打出」で打ち出された2つの湯沸かし
「口打出」で打ち出された湯沸かし。同じ製品ですが、左は50年以上使われたもの。使い込むにつれ、風合いが深まるのも魅力。(photo:田頭真理子)

そしてもう1社は、“鍛冶のまち”として知られる三条市で100年以上にわたり鉄を打ってきた〈日野浦刃物工房〉。その3代目であり、「伝統工芸士」「にいがたの名工」認定、さらに2025年度には「現代の名工」にも選ばれた日野浦 司さんが登壇。

〈日野浦刃物工房〉は、和包丁のほか、アウトドアナイフや鉈なども手がける工房。簡易で大量生産が可能な刃物づくりが主流になるなか、鉄に鋼を融合させる日本古来の技法を貫いています。

〈日野浦刃物工房〉の日野浦司さん
越後三条鍛冶集団の筆頭師範でもある〈日野浦刃物工房〉の日野浦 司さん。

日野浦さんは20年ほど前、ドイツ・フランクフルトで開催される世界最大級の国際見本市「アンビエンテ」で刃物展示を経験。日本古来の技術からなる刃物に関心を持った欧州の各社が「ものづくりの現場を見たい」と工房を訪問したことがきっかけとなり、現在も包丁を中心に海外へと輸出しています。

日野浦さんによって手がけられた包丁
日野浦さんによって手がけられた包丁「越後司作」。鉄に鋼を融合させて打つ包丁の、波や渦のような美しい波紋、優美な全姿、感動的な切れ味。日本料理のプロはもちろん、メイド・イン・ジャパンの包丁に憧れる外国人にとっても垂涎の逸品として知られています。

そんなゲストを迎えてのトークでは、燕三条エリアでなぜ金属加工産業が発展していったのか、歴史、地理的条件、地域資源などの話を交えながら解説。また2013年から行われてきた〈燕三条 工場の祭典〉や、各社の事業やものづくりの紹介、燕三条としての未来のビジョンなどが語られました。

イベント中のトークの様子
イベントの様子。マイクを握るのは〈株式会社MGNET〉の武田修美さん。燕三条のものづくりを見て、触って、感じられるセレクトショップ〈FACTORY FRONT〉も運営しています。

世界的な「後継者問題」は、
燕三条の取り組みが参考になる?

海外メディア各社が大いに注目し、さまざまな質問が挙がったのが、金属加工の実演。

まず、銅板を金槌で叩く「鎚起(ついき)」を披露した山田さん。1枚の銅板からどのように銅器が生まれるのか、そのプロセスがわかるサンプルも見せながら説明を行いました。

銅板を金槌で叩いて形を起こす様子
銅板を金槌でひたすら叩いて形を起こす「鎚起銅器」の実演を行う山田さん。

〈燕三条 工場の祭典〉には初年度から参加し、鎚起ワークショップなどで来場者と交流してきた同社。現在、年間約7000人が〈玉川堂〉を訪ね、そのうちの4分の1は海外からのゲストだと山田さんはいいます。

「燕三条で受け継がれてきたものづくりを国内外に知ってもらう機会を得た今、工場をひらき続けていくことが、伝統技術の存続、僕らの思いやこだわりを次の世代につなげる一番の近道だと感じています」

トンカンカン、トンカンカン、とリズミカルな音を響かせながら、同社の思い、銅の特性や打ち方のポイントなどを語る山田さんの言葉に熱心に耳を傾け、カメラを向ける海外メディアの姿も。

鎚起(ついき)で徐々に完成していく各段階の湯沸かしが展示されている

続いて日野浦さんは包丁研ぎを実演。あえて刃こぼれさせた包丁を、研粒率の異なる3種類の砥石で研ぎ、和紙を使ってその切れ味を披露しました。

包丁を研ぐ日野浦さんの手元
刃のバリ(金属のめくれ上がった部分)を来場者に指先で感じてもらいながら、丁寧な説明とともに研ぎを進める日野浦さん。

「日本の包丁は少し値段が高くても、研げば買ったときと同じ切れ味に戻ります。だから非常にサステナブル。以前は研ぎだけをやりに、ヨーロッパの国々を巡ったりもしました」

そう語る日野浦さんは、近年外国人の包丁への興味関心にも変化が起こっているといいます。

「以前は日本に包丁を買いに来る人が多かった。でも今は、研ぐ、打つといった体験をしに来る人が多くなりました。燕三条はそういった体験ができる産地。多くの方に来ていただきたいですね」

研ぎ終わった包丁で和紙を切っている

その後に設けられた質疑応答では、ほとんどの海外メディアが手を挙げ、さまざまな質問を投げかけました。日野浦さんには、包丁の海外輸出についてや砥石の品番・品質に関する玄人向けの質問も。

〈玉川堂〉の業務とは別に旅行会社を立ち上げ、仲間と一緒に地域のランドオペレーターとしてオリジナルツアーを企画する山田さんには、外国人のツアー参加について質問する人もいました。

さらに、人口減少が続く日本においての職人の後継者問題、燕三条の産業・技術の継承について問うメディアもあり、日野浦さんと山田さんは以下のように回答しました。

「20年ほど前にドイツを訪れたとき、かつて手仕事が有名だった地域に古来の技術が何も残っておらず、日本もこの状況を追いかけているという危機感を覚えました。効率やお金も大事だけれど、ものづくりにはおもしろさ、楽しさ、やりがいがあります。そうした魅力を感じてもらえるような発信を行っています」(日野浦刃物工房・日野浦さん)

コメント中の日野浦さん

「次の担い手を育成するという意味でも、オープンファクトリーはものすごく有効な手段だと感じています。〈玉川堂〉には現在21人の職人がいて、平均年齢は31歳。近年は毎年30~50人の学生からの職人応募があります。そうなったのもここ10年の話で、祭典を始める以前は2年にひとり来るか来ないかでした。『ひらいて、みせる』ことで、いろんなものが変わった感覚があります」(玉川堂・山田さん)

マイクを持ちコメント中の山田さん

「後継者をどう育てるか?」「伝統をどう継承するか?」という課題は、なにも日本だけのものではありません。そうした課題を乗り越えようとさまざまに実践を重ね、効果をあげる燕三条の取り組みやアイデアは、同様の悩みを抱える国々にとって、有効な参考事例として評価されるかもしれません。

打ち上げ花火や手ぬぐいなど新潟でつくられた工芸品が並ぶ

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ものづくりは「ひとつの美徳」


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