「妙高の人たちには、もっと自信を持ってほしい!」
立ち上げ当初はコンンテナハウスに集まり、週末のみガイドサービスをしていた〈dancing snow〉ですが、少しずつ規模が拡大していき、2016年12月には拠点となるガイドセンター&ショップをオープン。ガイドの数も増え、現在ではビルさんも含め5人に。
数年前には妙高山域遭難対策連絡会の立ち上げにも携わり、誰もが安全に妙高高原でのアウトドア・アクティビティを楽しめるよう尽力しているビルさん。そんなビルさんが今、一番心配だというのはまちに日本らしさがなくなってしまわないかということ。
「『海外のスキーリゾートのようになってしまうので、英語の看板をつけないで欲しい』という声は、お客さんからよく聞きます。あと今、妙高高原にあるホテルのオーナーになる外国人の方も増えていて。ケースバイケースですが、なかには新潟の雪のことはもちろん日本のことすらあまり知らない人もいます。『日本のルールを守らないとダメですよ、勉強しないとダメですよ』と僕は言っているのですが、聞き入れてもらえないことも多いです」と、ビルさん。
日本の文化に敬意を払うことなく、ただビジネスチャンスとして「妙高」や「雪」をとらえている外国人も多いようです。
「外国人のオーナーの多くは、長くても3ヶ月間のスキーシーズンにしか妙高に来ないので、経営が続かなさそうなことも気がかりです。バブルの頃にサラリーマンだった人が仕事を辞めて、妙高にペンションを開いたものの、不在中に雪で窓が曲がってしまったり、建物がボロボロになってしまうのを僕は見てきたので、同じ状態にならないか心配です」
また取材中、「妙高の人たちは、自分たちが持っているものに、もっと自信を持ってほしい!」と繰り返し言っていたビルさん。
「海外から来る人は、日本らしい場所へ行きたい、日本人と話がしたい、和食を食べてみたい、日本酒を飲んでみたいという人が多い。みんな、日本にいるからこそ体験できることをしたいんですよ。〈dancing snow〉のツアーのお弁当には必ず梅干しのおにぎりを入れるのですが、みんな喜んで食べています。
施設などの古い設備は直したほうが良いけれど、基本的なサービスと料理、そして日本人のあたたかさがあれば僕は十分だと思います。妙高へ来る人たちも『まちが好き、人が好き』と言っていますし、ホテルを経営する方々と家族ぐるみで仲良くなって、訪れるたびに同じホテルに泊まる人も多い。だから自分たちのネガティブな思い込みはなくしてほしい、本当に新潟のスキー場は最高ですから」
地域の人々と一緒に、新潟ならではの魅力を発信
海外から来る人のなかには「夏の新潟も見たい」という方も多いので、〈dancing snow〉としては春夏シーズンのアクティビティも充実させていきたいというビルさん。
「春は火打山にある山小屋に泊まるツアーをたまに開催していますが、夏に佐渡や粟島などでシーカヤックのツアーを開催してみたいですね。波もあるし、景色の変化もあるし、シーカヤックをするには最高の場所なんですよ。日本人のお客さんも大歓迎です!」
インバウンドプロモーションに関する講演など行なっているビルさんですが「地域の人から『何かやってほしい』というリクエストもいただくので、ちょっと大変だけどイベントもどんどんやっていこうと思っています。このまちの人たちはみんなオープンだから、何かやろうとしたときに『外国人だからダメ』と言われることがないんですよ」
妙高市に20年以上暮らし、まちへの想いも深いビルさん。そんなビルさんと〈dancing snow〉を架け橋に妙高高原のみならず、新潟ならではのあたたかな魅力が、どんどん世界へと広まっていきそうです。
Information
※文中の「ガイド」については、日本山岳協会の認定ガイド資格を指すものではありません。
credit text:林みき photo:斎藤隆吾