日本を代表するモダニズム建築(様式美を否定し、装飾は少なく、機能や合理性を追求した近代建築)の巨匠、前川國男が生まれたのは新潟県新潟市。幼い頃に見た新潟の風景は、前川の記憶に深く刻まれていたといいます。最晩年に手がけた〈新潟市美術館〉を山田五郎さんと訪ねました。
前川建築のシンボルは端正なタイル壁
日本人で初めてル・コルビュジエに師事し、この国のモダニズム建築を牽引した建築家・前川國男(1905-86)。その生まれ故郷は新潟県新潟市でした。
前川が4歳までこの地で育ったと聞き、「てっきり東京生まれかと思っていました」と山田さん。博識な山田さんでも知らなかった事実。建築ファン、美術ファンの間でも、実はそこまで知られていないことなのです。
前川國男といえば東京・上野の〈東京文化会館〉や〈東京都美術館〉が有名。全国各地で美術館や音楽ホールを手がけてきた、公共建築の名手でもあります。そんな前川が新潟で仕事を始めるのは、建築家としてすでに大成した70代以降。なかでも思い入れのある作品となった〈新潟市美術館〉は、前川が85歳で亡くなる1年前に完成した最晩年の建築です。
まず美術館の外壁となっている深緑のタイル壁を見て、「うん、紛れもない前川建築ですね」と目を細めた山田さん。「タイルひとつとっても、こだわり抜いた別注品。目地部分まで一体で焼かれているのがすごい。それを縁だけわずかに重ねながら並べているから、普通はモルタルが見える目地までがタイルになっている。これを貼るのは大変な作業ですよ」
一枚一枚、微妙に色みの異なるオリーブグリーンのタイル。夏の日差しの下では緑に輝いて辺りの木々と一体化し、冬の曇天では黒にも似たどっしりとした色合いに変わり、建築に重厚感を与えるといいます。
「この壁は、打ち込みタイルという前川さん独自の建築技法でつくられているんですよ」と教えてくれたのは新潟市美術館の学芸員・星野立子さん。
打ち込みタイルとは、液状のコンクリートを型に流し込む際、あらかじめ型枠にタイルもセットしておき、一緒に固める方法だそう。コンクリートとタイルががっちりと接着されるので、剥落が少なく、風や雪、衝撃にも強い。前川建築の代名詞ともいえる特徴で、日本海からも近く、雪も降るこの立地にぴったりの技法なのです。
館内に入ろうとすると「このエントランス、おもしろいね。公園側の正面じゃなく側面にある上に、わざわざ斜めに向けてある」とさっそく立ち止まった山田さん。建物に対して、斜めに置かれた四角い箱。中の壁には鮮やかな赤いタイルが貼られており、その小さな空間を抜けるとエントランスロビーが広がります。
前川は設計図を仕上げる直前に、この入口部分をくいっと斜めに置き換えたのだそう。エントランスロビーの前にひとつ空間を設けることで、吹きさらす雪や冬の冷気をシャットアウトする狙いがあったのかもしれません。「でも防寒だけが目的なら、箱でありさえすればいいわけで、あえて斜めに向ける必要はありませんよね?」と首をかしげる山田さん。
そんな疑問を抱いたまま、まずは館内に入って右手の中庭へ。そして、外壁に沿って再び屋外を歩くことにしました。向かったのは建物の裏側。まずは、外からぐるりと建築を愛でることになりました。
ディテールに宿る、建築家の美意識
美術館の裏手には遊歩道が続いています。ここを歩いて感じるのは、前川が目指した“建築と自然の調和”。
「新潟市美術館は遠目から見ると、木々に溶け込んでわからないと言われるほど、佇まいが控えめなんです」と笑う星野さん。
前川の建築は、同世代の建築家と比べても、派手さがありません。ですが実際に訪れると、いわゆる“映える”とは違う、味わいや温もりが伝わってきます。型枠を組む板の向きを途中で変えて縦横の木目を写したコンクリート壁。伸びやかな曲線を描くガラス窓の上のくぼみ。80歳を過ぎてなお、自ら現場に赴き、新潟のこの土地にふさわしい建築の在り方を考えた前川。ささやかでありながらも、的確な意匠があちこちに見て取れます。
「モダニズム建築の見どころは細部と質感だと思います。幾何学的な躯体に細部や質感でどう表情をつけていくかに、建築家の個性が表われますから」と山田さん。「例えば、この巾木のタイルの貼り方ひとつとっても、実に職人さん泣かせ(笑)。角が丸くなった柱にぴったり沿うよう、タイルを小さく切って貼ってある。こういう目立たないディテールまで手を抜かないところが、前川國男という建築家と、当時の職人さんたちのすごさですよね」
細部を見てわかるのは、前川建築がいかに丁寧につくられているかということ。建材ひとつ、施工ひとつとっても、そこには人の手だから生み出せるやわらかさや、ぴしりと収まる職人技術の確かさが表れています。
外観だけでもこれほど見どころがあるのか! と驚きつつ、いよいよ山田さんは館内へ。そこにはさらに濃密な前川ワールドが広がっていました。