新潟の発酵食文化を巡る旅、今回は日本海をフェリーで渡り、日本最大の離島、佐渡島へ。新潟港から両津港まではフェリーで約2時間半、ジェットフォイルで約1時間です。玄関口の両津地区にある約200年続く麹屋と、島の北端、外海府(そとかいふ)エリアの大自然の中で佐渡独自の甘酒とどぶろく復活に挑戦する醸造所を訪ねました。
農家の味噌づくりを支えてきた麹
両津港に降り立ち、両津湊の商店街に江戸時代に創業した〈塚本こうじ屋〉を目指します。両津港ターミナルからは歩いて10分ちょっと。
〈塚本こうじ屋〉は江戸時代に麹屋として創業し、その歴史は200年以上になります。現在は麹のほか3種類の味噌と、味噌に季節ごとの旬の食材を合わせた〈旬彩調理味噌〉、そして島内で唯一、佐渡伝統の発酵調味料「なめぜ」を製造販売しています。
昭和の時代まではどこの家庭でも味噌をつくるのが当たり前で、米を預かり、味噌づくりに使う麹をつくるのが〈塚本こうじ屋〉の役割でした。
12代目の塚本理一郎さんの母である塚本八重子さんは、2020年に他界した11代目の塚本健二さんと一緒に、約40年間伝統の麹づくりを担ってきました。「昔は島内に100軒以上の麹屋があったそうです」と八重子さん。今では島内で4~5軒、両津地区では〈塚本こうじ屋〉が唯一です。
現在は理一郎さんと奥さまの佳那子さん、そして八重子さんの3人で麹づくりを行っています。時を重ねた風格を感じるボイラーや釜、そして道具たち。蔵の中は整理整頓が行き届いていて、新旧の道具はどれも清潔感にあふれています。理一郎さんが麹づくりの説明をしてくれました。
麹づくりは米を蒸すことから始まります。蒸し米を冷まして種麹(菌)を振り、「大盛り」や「板」と呼ばれる木箱に詰めて、地下の麹室(むろ)で温度調整や木箱の積み替えなどを行い、3日目に麹が仕上がります。
「板」を3段積み重ね、地下にある麹室の棚に並べ、35~40度に保ち、ひと晩寝かせます。昔は炭を焚いて温度を上げていましたが、現在はストーブを使っているそうです。麹づくりで最も気を遣うのが温度管理。仕上がった麹の良し悪しにも影響を与えます。
ここにしかない発酵調味料「なめぜ」を知る
次に、〈塚本こうじ屋〉のつくる発酵調味料「なめぜ」について教えていただきました。
佐渡には「なめぜ」「なめぜえ」「なめじゃ」など、似た名前の伝統食があります。これらに共通しているのは、味噌をつくるときに出る大豆の煮汁(「味噌あめ」という)を使うこと。そこにコンブや大根などを入れて煮て、味噌で味を調え、仕上げに麹を入れます。
しかし〈塚本こうじ屋〉の「なめぜ」は、これらの料理とは異なります。〈塚本こうじ屋〉がつくるのは、大豆と麦を宝菌で発酵させ、そこに米麹を加えてさらに発酵させたもの。毎年9月の初めに半年分を一気に仕込むので、翌年の春前に売り切れてしまうこともあるそうです。
「なめぜ」づくりの最初の作業は、炭火で大豆を炒ること。次に同じ鉄鍋に麦を入れて水分をとばします。これらを洗って水気を切り、蒸して冷まし、麹菌を植え付け、温度調節……と、完成するまでの工程は12もあり、味噌以上に手間がかかる発酵食品です。
4日目の朝にウグイス色の「なめぜ」の素ができあがります。そこに塩と水と麹を混ぜて、1週間ほど樽の中で寝かせ、「なめぜ」が完成。
「醤油の実」(もろみ)のようですが、材料を炒っていることなどから、味わいは独特。さらに、理一郎さんの祖母が甘酒好きだったことから、仕上げに甘酒を混ぜているため、まろやかでほんのり甘い仕上がりになっています。
昔は乾燥状態のものを販売し、各家庭で水と塩、好みで醤油を入れて発酵させ、各家庭の「なめぜ」に仕上げていたそうです。現在はオリジナルの「なめぜ」のみを販売しています。
食べ方は「ご飯にのせたり、野菜に添えたり。浅漬けや野菜のお浸し、豆腐、納豆などにかけてもおいしいですよ。醤油代わりに使える発酵調味料ですね」と八重子さん。健康食品としても注目されていて、以前は島内の病院でも使っていたそうです。
〈塚本こうじ屋〉のほか、島内スーパーやJAの直売所、佐和田のショッピングセンター〈佐渡セントラルタウン〉内にあるこだわりの酒・食料品店〈喜右ヱ門〉でも、味噌とともに販売しています。
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木桶が並ぶ味噌蔵は圧巻
〈塚本こうじ屋〉で味噌を製造販売するようになったのは70年ほど前。理一郎さんの祖父が、ライフスタイルの変化で麹一本では厳しいと判断し、店の裏にあった船小屋を味噌蔵にして味噌づくりを始めました。味噌桶は廃業した味噌屋から譲り受けたそうです。
商売としての「佐渡味噌」の発祥は1601(慶長6)年に佐渡金山が発見され、人口が爆発的に増えたことが関係しているといわれます。さらに江戸時代末期から明治初期にかけて、北前船の寄港地だった佐渡南部の小木港から、開拓が進んでいた北海道へ味噌が運ばれました。北海道は佐渡からの移住者が多く、当時は寒冷で味噌をつくれなかったため、島内での味噌醸造が増え、さらに1923(大正12)年の関東大震災の救援供給で販路が広がり、当時島内には50軒もの味噌醸造所があったという記録が残っています。
「佐渡味噌」の特徴は、味噌玉をつくらず、麹歩合が高いこと。〈塚本こうじ屋〉の味噌は、原料の大豆はすべて蒸し、大豆10に対して米麹を17入れています。
また〈塚本こうじ屋〉では「こうじや味噌シリーズ」として、大豆や米麹に使う米、塩、水などの質によってランク分けした3種類の味噌を販売しています。
「漁師さんが昔はよく船の上でつくった郷土料理の『沖汁』には、〈こうじ味噌〉が合うようです。荒々しい味わいが魚の汁に合うのかもしれませんね」と八重子さん。
3種類の味噌とともに、その味噌を使い、島の旬の食材でつくる〈旬彩調理味噌〉にも力を入れています。春はフキや山椒、夏はシソ、冬はゆず、そして通年のネギ。
「調理味噌はこれからもっと種類を増やしていきたいですね」と言う理一郎さんは、大学進学で上京したとき「実家を継ぐつもりはまったくありませんでした」と振り返ります。
大学時代の海外旅行や、ワーキングホリデーで海外生活を体験したことで日本の文化を見直し、伝統の食文化を支えている家業が果たしてきた役割の大きさを実感。2005年に島に戻り、家業に入りました。
今では母の指導のもと、北海道出身の奥さまとともに伝統を受け継ぎながら、現代の生活に合う商品開発にも取り組んでいます。伝統の味噌や「なめぜ」とともに、新たな商品にも注目しましょう。
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路線バスの車窓から楽しむ海景色
次なる目的地はどぶろくや甘酒を製造販売する〈佐渡発酵〉。佐渡西北にあたる外海府の、北端に近い関(せき)集落を目指します。両津地区からはバスを乗り継いで向かいましょう。
島の中央に位置する国中平野を横断し、相川地区へ。佐渡金山のお膝元、相川地区に2019年4月にオープンした、佐渡金銀山を予習できる施設〈きらりうむ佐渡〉のバス停から海府線に乗り、西海岸沿いを北上します。
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目的地の関集落は、バス停以外でも乗り降りできるフリー区間。道路沿いに〈麹のおちち〉ののぼりを発見し、運転手さんに声がけし、バスを降ります。
〈佐渡発酵〉代表の濵田正敏さんは、生まれも育ちも外海府の関集落。この地域は海まで山が突き出し、湿度の高い海風が吹き込み、山には原生林が育つ豊かな自然があります。沿岸の集落は水源から近いため、良質の米が栽培される土地でもあります。
この外海府で育った米と原生林の伏流水、そして自家製麹を使って甘酒やどぶろくをつくり、地域のブランドを高めていくことを目的に、2011(平成23)年に〈佐渡発酵〉の前身である〈海府発酵〉を立ち上げました。
〈金鶴〉の銘柄で知られる〈加藤酒造店〉の元杜氏の技術指導のもと、新たなつくり手を育成し、甘酒とどぶろく、にごり酒を醸造・販売しています。
販売所と隣接する醸造所内には3つの冷蔵室があり、麹づくりや酒母の仕込みなどが通年で行われています。
新設の休憩所でくつろぎながら味わう
2021年夏には販売所内に休憩スペースも完成しました。この日も外海府をドライブしていた観光客の方たちが立ち寄っていました。
〈麹のおちち〉をひと口飲むと、その酸味に驚きます。米と麹と水のみで、じっくりと時間をかけて自然界の乳酸菌で発酵させていくため、甘酒に酸味が加わり、ヨーグルトのようなさわやかな味わいになります。
「昭和30年代までどこの家でもつくって自宅で楽しんでいたどぶろくを再現したい」という濵田さんの思いから生まれたのが〈昔ながらの佐渡のどぶろく12度〉。甘みと酸味のバランスが絶妙です。それよりもアルコール度数が低い〈佐渡のどぶろく7度〉は酸味が強く、まだ麹菌が元気なため微発泡酒になっています。スパークリングのヨーグルトドリンクのような味わいが女性に人気とのこと。
清酒と同じ工程ですが、清酒の倍以上の2か月かけてじっくりと発酵させ、もろみを搾らずに瓶詰めした濁酒も2種類つくっています。〈寒元〉は加水調整してアルコール度数を15度まで落とした商品。もろみをそのまま瓶詰めした〈寒元 原醪〉はアルコール度数19度の濃厚な味わいです。どちらももろみの発酵パワーと米の栄養価が高く、疲れたときにおすすめの飲み物です。
「米と発酵は日本食の原点」と、濵田さんは考えています。かつて料理研究家の藤野真紀子さんが講演会で「世界のどこの国を見ても、家庭のなかに世界各国の料理が入り込んでいるのは日本だけ」と言っていたことが忘れられないそうです。他国では、外食で各国料理を楽しみ、家庭ではその国の伝統食を大切にしています。
「日本人の体には日本の伝統食が最も合っている。食卓の原点回帰のきっかけに、佐渡の甘酒がなってくれたら」と、濵田さんは願っています。
〈海府発酵〉だった社名は2016(平成28)年に〈佐渡発酵〉に改名。全国の、世界の人に佐渡の発酵食を知ってほしい。そんな思いがこの名前に込められています。
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東京23区の1.5倍ある大きな島、佐渡の東と西の地で醸されている、発酵食を追いかけた旅。どちらも昔ながらの発酵食品を守りながら、食べる人、飲む人が「おいしい」と笑顔になってくれる新たなものもつくっていこうと、日々挑戦していました。
島へ渡り、発酵食を訪ね、つくり手の思いに触れる旅をしてみませんか。その予習として、まずはオンラインで商品を取り寄せて味わってみるのもいいですね。
credit text&photo:『新潟発R』編集部