戦国時代から花火づくり! 新潟で花火が盛んなワケ
突然ですが、お祭りといえば何でしょう? そう聞かれると、お神輿や縁日などが連想されますが、「打ち揚げ花火!」と答える人も多いのが新潟県。日本屈指の花火王国なのです。
新潟県における打ち揚げ花火発祥の地とされるのは、新潟県の片貝(かたかい)地域。1700年にはすでに花火の製造が始まっており、江戸時代の末期から明治時代にかけて盛んになっていったとか。現在、新潟県は打ち揚げ花火を新潟県伝統工芸品に指定しており、県内にある〈小千谷煙火(おぢやえんか)興業〉など5社が製造しています。
新潟で、打ち揚げ花火……とくれば、有名なのは「長岡まつり大花火大会」。実際に見た人たちからは「死ぬ前にひと目みるべき」「一生忘れない」「思い出すと目頭が熱くなる」といった絶賛の声が尽きません。
見る人の胸を熱く焦がす、新潟県の打ち揚げ花火。一体、ほかの花火と何が違うの? 人気のヒミツを探るべく、明治末期から花火をつくり続ける老舗〈小千谷煙火興業〉を訪ねました。
迎えてくれたのは、〈小千谷煙火興業〉4代目・瀬沼輝明(せぬまてるあき)さん。石川県に生まれ、結婚して奥さまの家業だったこの会社を継ぎ、花火師になったといいます。
まるでフィギュアスケート!? 進化しつづける打ち揚げ花火
「いろんな花火大会の動画を見るのが趣味」という瀬沼さん。
新潟県長岡市の「長岡まつり大花火大会」をはじめ、茨城県土浦市の「土浦全国花火競技大会」、秋田県大曲市の「全国花火競技大会」の3つの“日本三大花火大会”も、それぞれ特徴があるといいます。
「花火師にとって三大花火大会は、フィギュアスケートに似ています。よく、土浦はショートプログラム、大曲はフリープログラム、長岡はエキシビジョンといわれるんです。というのも、大曲と土浦はその名のとおり、『花火競技大会』として全国の花火師たちが技術を競い合っているから。ここで好成績を残した花火師たちが集結し、ぞくぞくと登場するのが長岡というわけです。小さい玉から大きい玉までバラエティ豊かに打ち揚げられるので、見応えがあって楽しいですよ」
全国の花火師たちがこうした花火大会で腕を磨いている甲斐あって、打ち揚げ花火は昔に比べて飛躍的な進化を遂げているそうです。
「ドーンと揚がって開いた瞬間、一度に複数のカラーが現れる花火を見たことがありませんか? 昔は3色が一気に見えるものを八重芯(2重芯のこと)といい、技術的にこれが限界とされてきました。しかし、最近では4重芯、5重芯と進化を遂げて、現在はなんと6重芯まで実現しています。つまり、花火が開いた瞬間、7色のカラーが見えるということですね!」
まさに“4回転半ジャンプ”のように技術の限界に挑んでいる花火師たち。打ち揚げ花火の世界は、伝統を受け継ぎつつ進化を続けていたんですね。
ビッグサイズの三尺玉は新潟産! 新潟の花火はなぜ大きい?
新潟ならではの花火の特徴といえば、「やっぱり大きいことかな!」と瀬沼さん。
「実は、全国で打ち揚げられる三尺玉のほとんどが新潟県産。新潟の花火は、とにかくサイズが大きいんです。競技大会では『星』の技術を競うことが多いのですが、なぜか新潟だけ、玉のサイズも技術のひとつとみなして大きさにこだわり続けているんです」
ちなみに、日本最古の花火大会「隅田川花火大会」で揚がるのは5号玉が最大で、打ち揚がったときの直径は約150メートル。一方、「長岡まつり花火大会」で揚がる三尺玉(30号玉)は直径約600メートルだというからケタ違いです。
なお、新潟県の打ち揚げ花火の発祥の地・片貝の花火大会「片貝まつり」になると、揚がる玉の7〜8割が二尺や三尺といった大きな尺玉が中心で、なかには直径約800メートルの四尺玉も含まれるそうですよ。
でも、不思議ですね。なぜ新潟では巨大な花火が愛されるようになったのでしょう?
「さかのぼれば、戦国時代の上杉氏vs武田氏の戦いに行きつくとの説もあるんです。新潟を治めた上杉氏は、特に大きい玉(砲弾)づくりが得意だったとか。もしかしたら、その名残りなのかもしれませんね」
調べてみると、上杉氏の好敵手・武田氏の「のろし」の技術から始まったといわれるのが、現在の甲州市川の花火です。また、その市川の花火師たちは、徳川御三家に仕えていたとの説も。その徳川が治めた豊橋には、竹筒に火薬を詰め、抱えた状態で打ち揚げる特殊な「手筒花火」が伝わっています。
戦国の世のライバルたちが散らした火花は、それぞれの地で情熱とともに受け継がれ、現代もなお迫力ある姿で夜空を輝かせているようです。