新潟のつかいかた

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秋葉区の柿の木に、魚沼の火山灰……
〈青人窯〉のうつわには
自然豊かな新潟の魅力がつまっていた | Page 2 Posted | 2020/08/21

「うちのDEアート」をきっかけに地元での開窯を決意

作陶家の大山育男さんが陶器にひかれ始めたのは、グルメ漫画の金字塔『美味しんぼ』でした。

「小学生の頃から漫画本やアニメで『美味しんぼ』を見ていました。作品のなかでよく“食とうつわ”の関係が描かれていたんですよ。よりおいしそうに見せ、料理として完成させる“食を高める”うつわ。そういった関係性が興味深いものでした。当時はお茶も習っていたので、陶器でできたお茶道具に触れることで口当たりや手ざわりといった陶器の“肌”のよさを知り、いつかこういうものをつくるようになりたいなって」(育男さん)

インタビュー中の大山育男さん
「備前焼や伊賀焼など、土の魅力を感じられる陶器から入っていきました」

「いつかやりたい」という漠然とした思いが、強い確信に変わったのは大学生の頃。筑波大学工学部に通いながら陶芸サークルに入った育男さん。そこで始めたろくろをきっかけに、陶器の世界にどっぷりとハマっていきました。

「ろくろは上達するにも理屈があることに気づき始めたんです。うまく仕上げるためには、ろくろの遠心力や土の強度も関係する。その理屈と感覚の共存っていうのかな、それがおもしろかったんです」(育男さん)

工学部に進んだものの、学業そっちのけでサークルに入り浸る日々が続いた育男さん。3年生への進級を前に筑波大学を辞め、美術についてのセオリーや思想、感覚を学ぶために、地元・新潟市にある新潟大学教育学部美術科に入学し直しました。

「趣味ではなく、深く陶芸と向き合いたかったんです。技術は経験で身につきますが、感覚や思想は学ばないと養えないと思って」と語る育男さん。深く考え追求する、そのまじめな性格が〈青人窯〉のうつわにもしっかりと表れているように感じます。

ろくろをまわす
ろくろをまわす育男さんの表情は厳しく、インタビュー時の穏やかな様子とは別人のよう。

そして、新潟大学のキャンパスがある内野町を舞台に、学生たちが中心となって行うアートプロジェクト「うちのDEアート」での経験が地元での活動に大きな影響を与えました。

「まちの個性や歴史を美術と調和させ、地域と共存しながら美術を発信していくといった試みがおもしろくて。このプロジェクトに携わるうちに、自分が生まれ育った新潟の地で陶芸をやっていこうという気持ちが芽生え始めました」(育男さん)

新潟大学卒業後、多くの若手作家を輩出している岐阜県多治見市にある〈陶磁器意匠研究所〉に入学。ここで2年間、専門的な技術を学び、感性を磨き、岐阜県土岐市にある窯元でろくろ師として2年ほど経験を積んだのち、再び帰郷。当初、自宅で工房を構えようと思っていましたが、たまたま〈沼垂テラス商店街〉の話が持ち上がり、この場所に地域のおもしろさと可能性を感じた育男さんは奥様の寛子さんとふたりで2012年に〈青人窯〉をオープンしました。

工房に飾られた花瓶
工房のいたるところにふたりのセンスが感じられます。作陶のメインは育男さんで、寛子さんは細かな作業を手伝ったり、陶芸体験や教室の面倒を見たり。
様々な皿に料理を盛り付け

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〈青人窯〉のうつわ


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