新潟のつかいかた

何もないチームへ飛び込んだ2名の選手の話

“サッカー”と“農業”で、
なでしこリーグをめざす!
〈FC越後妻有〉の女子選手たち | Page 2 Posted | 2018/05/31

今年で3年目!
FC越後妻有の基盤をつくった初代メンバー、大平選手と西川選手

大平理恵選手(左)と西川美里選手(右)
大平理恵選手(左)と西川美里選手(右)。

「生まれてから大学まで、ずっと神戸で育ってきて、そのまま関西圏に残って就職しようと思っていたんです。でもやっぱり長年続けてきたサッカーをやりたいなって思っていたときにここの話をいただいて。ワクワクする気持ちと、慣れない土地や農業という仕事に不安もあったんですけど、夏に一度見学に訪れて、この地の人のよさとか、地元の方との関わりが『ああ、いいなあ』って思って」

そう語るのは、今年で入団3年目を迎える西川選手。生粋の都会っ子である彼女は、もちろん農業未経験者。大学の講師と坂口さんがつながっていたのがキッカケでFC越後妻有のプロジェクトを知り、初代メンバーとしての参加を決意したそう。

series-shingatabito-001-photo8

また、同期メンバーである大平選手は青森県出身。中学まで青森で過ごし、高校はサッカーの名門・仙台の聖和学園へ。大学進学は、農家である祖父母の影響もあり、信州大学で農学部を専攻。卒業が迫った折、坂口さんとご縁があり、FC越後妻有の立ち上げを知ったのだとか。

「海外へのサッカー留学や、別チームへの入団、実家に帰る……。いろいろな選択肢を含め悩みました。でも、動けるうちはサッカーをやっていたいっていう思いがあって、じゃあサッカーをやりながら仕事は何をする? って考えたとき、この場所なら、これまで勉強してきた農業も生かせる、と思ったんです」(大平選手)

メンバーが誰ひとりいない、まったくの新規チームに入団するということ。その決断には、私たちの想像を超える、並々ならぬ勇気がいったであろうし、どちらも体力勝負であるサッカーと農業の掛け持ちが、この上なくハードであることは、容易に想像できます。

それでも「サッカーがやりたい」というブレない覚悟が人一倍強かった彼女たちは、この地にきて早3年目。農作業にも少しずつ慣れ、トラクターや田植え機もひとりで扱えるように。新潟での暮らしにも自信がついてきたといいます。

取材時はちょうど田植えの季節。棚田は田んぼごとに個性や特徴があり、田植え機を使える田もあれば、手植えしかできない場所も
取材時はちょうど田植えの季節。棚田は田んぼごとに個性や特徴があり、田植え機を使える田もあれば、手植えしかできない場所も。写真は、里山協働機構・農業チームの松山雄太さん。

「地元の方々が本当にあたたかくて。何もわからない私たちのことをいつも気にかけてくださって、“生きる知恵”というか、本当にいろいろなことを教えてもらっています」(西川選手)

「それに、なんといってもここはお米が本当においしい! しかも自分たちがつくったお米が食べられるっていう。ほかのチームに入団していたら、この感動はなかったですね。

外から見れば、山の中で効率悪い暮らしをしているように見えるかもしれないけれど、この地域の方々は、古くから守ってきた棚田で『俺んちの米が一番うまい!』ってプライドを持ってお米をつくっていて。すごい人たちばかり。でも、自分はさらに上をいく“かっこいいおばあちゃん”になりたいです(笑)」(大平選手)

この日見学した田んぼの近くにも野生の藤の花が
田んぼは豊かな自然が広がる地域に点在しています。この日見学した田んぼの近くにも野生の藤の花が。
田んぼをのぞけばトノサマガエルが
田んぼをのぞけばトノサマガエルが。芸術祭のコンセプト「人間は自然に内包される」という言葉の重みを、山々、田畑の風景、そこで生きる動植物に感じる瞬間があります。

移住当時、道を歩けばいろんなおじいちゃん、おばあちゃんがニコニコしながら彼女たちを2度見、3度見することもあった、というエピソードも。過疎地域となってしまった里山に若者が移住してくることは、地元の方にとっては手放しでうれしいようす。「知り合いがすごく増えた!」と、ふたりもこの地にすっかり溶け込んでいるようです。

そしてこの春から、チームにふたりの新メンバーが加入。先輩として、同じ目標を掲げる仲間として、新メンバーをあたたかい目で見つめる彼女たち。

「まだ11人のチームになっていないところに飛び込んでくるのはすごく勇気がいることだし、ふたりともそれぞれに夢と希望を持っていて。頼りがいのある後輩です」(大平選手)

2018年に入団した、頼もしいルーキーたち

次のページ:2018年に入団した、頼もしいルーキーたち


次のページへ →