新潟の発酵食文化を巡る旅、下越編では山形県境にあたる県北の城下町・村上市を訪ねます。朝日連峰を源流とする三面(みおもて)川で平安時代から鮭をとっていたという記録が残り、千年も前からつくられてきた鮭料理が、現在でも100種類以上伝承されているといわれます。そのなかでも「村上の発酵食」について聞けば、地元の誰もが即答するのが「飯寿司(いずし)」。城下町で愛され続ける発酵食品の物語をたどる旅の始まりです。
〈うおや〉の女将に聞く、村上の飯寿司
JR村上駅から駅前商店街を抜け、歴史ある町屋が並ぶ通りを歩きます。大火や戦火を逃れたこのまちには江戸時代の建物が多く残っていて、城下町の趣を肌で感じることができます。村上城主の堀氏から魚の専売権を許されたことに由来する肴(さかな)町や、その先の小国(おぐに)町、安良(あら)町を抜けると、村上城下の繁華街だった大町に出ます。
大町通に約200年前の寛政年間に創業した、塩引き鮭で有名な〈越後村上うおや〉を目指します。本店の向かいに2020年夏にオープンした〈うおや塩引館〉で待っていたのは、8代目で女将の上村(かみむら)八重子さんです。
〈うおや〉の飯寿司は、2014年2月に発行された雑誌『ブルータス』お取り寄せ特集の「鮭食品部門」でグランプリを受賞。審査員の秋元康さんは「まず主役の鮭がおいしい。脂がのってます。それに飯の酸味、柚子が加わって、バランスがいい。日本にはこういう食べ方がある、と世界に伝えたいくらいです」と絶賛していました。秋元さんが言う「こういう食べ方」が、まさに発酵文化なのかもしれません。
村上では、昔はどこの家庭でも年越しの料理として、11月頃の寒い時期になるとつくっていたという飯寿司。大正の終わりから昭和のはじめの食生活を採録した『聞き書 新潟の食事』(農山漁村文化協会)の「岩船の食」の項では、「ごはんにこうじを混ぜて、塩引きさけや大根、にんじんなどを漬けこむもので……正月用として家ごとに独特のものをつくる」と書かれています。
〈うおや〉では米、麹、塩引き鮭、大根、にんじんのほか、数の子、ゆず、鮭の頭部の軟骨・氷頭(ひず)、はらこ(いくら)などが入ります。桶に笹を敷き、麹で発酵させたご飯にその他の材料をのせ、再び笹を敷いて5~6層に重ねていきます。熟成期間は10日から2週間。仕上がったものは〈鮭の飯寿司(いいずし)〉の商品名で、店頭と通販で販売しています。製造期間は寒さが増してくる11月半ばから翌年の3月頃まで。製造したものがなくなり次第終了となります。
「麹は地元の〈大洋酒造〉の杜氏さんと相談し、うちの飯寿司に合うよう、最後まで発酵させず少し前に引き上げたものをつくってもらっています」と八惠子さん。
「菌が作用する食べ物なので、工場の2階の風通しが良く、ホコリが入らないところで、神経を使ってつくっています」と苦労を語ってくれました。さらに「寒い季節につくるものなので、従業員が風邪をひかないか、それが一番心配です」と女将ならではの心配りも。
1933(昭和8)年に村上の漁師町・岩船に生まれた八惠子さんは、20歳で結婚し、この店に嫁ぎました。嫁いでから覚えた飯寿司づくりですが、今では八重子さんがつくる〈うおや〉の飯寿司は、見た目の美しさとともに、甘さと酸味のバランスが絶妙で、多くのファンをもちます。
「春の『町屋の人形さま巡り』のときには、これを目当てに遠方から訪れる方も多いですね」とスタッフの本間妙子さんがその人気ぶりを教えてくれました。
飯寿司の主役、塩引き鮭
飯寿司の材料として欠かすことができない塩引き鮭。11月中頃から家々の軒下に鮭が下がる風景は、村上の風物詩ともいえます。この塩引き鮭も発酵食品。
現在、村上にある鮭加工業者のなかで最も歴史が古い〈うおや〉では、9月下旬から11月に日本海の沖でとれる雄鮭で塩引き鮭をつくっています。9代目社長の上村隆史さんは、「村上は湿度が高く気温が低いので、鮭が乾燥しすぎず、最高の塩引き鮭をつくることができます」と誇らしそうに説明してくれました。
塩引き鮭のつくり方は、まず鮭の腹を裂いて内臓を取り除き、よく洗って塩漬けにします。
1週間ほど寝かせた後、塩抜きをし水洗いして、寒さや湿度の条件が整う11月頃から干し始めます。干す期間は約1週間~10日。
70年もの間塩引き鮭をつくり続けている八惠子さんは「干し方が大事」と塩引き鮭づくりのポイントを教えてくれました。
うおやでは最初に屋外で陰干しします。屋外の干場は夜から早朝にかけての冷たい北風を取り込むような造りになっています。その後、風が弱く少し温度の高い屋内で仕上げ干しして完成させます。この干し方は代々受け継がれてきたものです。寒暖差がある風にさらすことで、鮭の旨味が引き出されるんです」
鮭が凍らず、かつ腐らない最適な気温と、山に抱かれ海が目の前にある村上の地形に由来する湿気を含んだ季節風が、鮭の低温発酵を促します。発酵により生まれた旨味がさらに凝縮され、塩引き鮭の深い味わいと独特の風味を醸し出します。
〈うおや塩引館〉では〈鮭の飯寿司〉や〈塩引鮭 切り身〉など、さまざまな鮭製品や干物などを販売しています。
11月下旬からは、隣の鮭工場2階に干してある塩引き鮭を自分の目で見て、好みのものを1尾単位で購入することもできます。
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ランチは〈海鮮一鰭〉の塩引鮭御膳
〈うおや〉の隣には直営の和食処〈海鮮一鰭(いちびれ)〉があります。残念ながら「飯寿司」はメニューにありませんが、「塩引鮭御膳」や「海鮮はらこ丼」などの鮭料理を味わえます。
〈海鮮一鰭〉の1階壁面と2階スペースは、開業医の瀬賀弘行さんが3人の恩師の蔵書を活用して開設した私設図書館〈大町文庫〉になっています。お茶を飲みながらゆっくり閲覧するのもいいですね。
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〈イヨボヤ会館〉で村上の鮭を学ぶ
大町通から徒歩約15分、三面川の畔にある〈サーモンパーク〉へ。公園の中心施設である鮭の博物館〈イヨボヤ会館〉では、村上の鮭の歴史と文化を学べるだけでなく、鮭の生態を観察できるコーナーや、三面川の分流の種川(たねがわ)に設置された観察窓から、川の中の生物を見ることができます。秋には、運が良ければ遡上する鮭の群れや産卵シーンに遭遇できることもあるそうです。
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〈イヨボヤ会館〉から下渡(げど)橋を渡った三面川の対岸では、10月下旬から11月末に、伝統の鮭漁「居繰網(いぐりあみ)漁」を見学できます(2021年は開催中止)。見学場所の近くにある三面川鮭産漁協第三ふ化場の鮭販売所では、鮭やはらこの一本ものから、醤油はらこや鮭の酒びたしなどの加工品を販売しているので、お土産選びに立ち寄ってみるのもおすすめです。
老舗茶舗で塩引き鮭を発見
再びまちなかに戻り肴町を歩いていると、1839(天保10)年創業の村上茶の老舗〈常盤園〉の店舗脇に、1尾の塩引き鮭が下がっているのを見つけました。
今年の塩引き鮭にはまだ早いと思いその下の壁を見ると、常盤園ご主人による解説が貼られていました。下がっている1尾は昨年塩引きにして干したもので「半年以上かけて干し、へぎ身(はぎ身)にして薄く切り、酒をかけて食す酒びたし」にしたり、酒粕を入れた粕汁などにもするとのこと。
茶舗の主人が塩引き鮭を手づくりする、その思いも綴られていました。
「鮭、お茶、堆朱(ついしゅ)が村上の三大特産品といわれており、その一つに携わる者として、村上の大切な文化、後世に受け継いでほしい文化と考え、素人の粋を越えませんが、こうして毎年つくっています」
村上は北限の茶処として知られ、冬季に雪をかぶること、日照時間の短さなどの雪国ならではの条件によって、まろやかな甘みのある味わいが村上茶の特徴といわれています。暮らす土地の文化を愛し、誇ることができるのはすばらしいことですね。
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天然発酵・2年熟成でつくる城下町の醤油
「村上には発酵食品の調味料はないのだろうか?」と思いつつ小国町を歩いていると、歴史を感じさせる〈てんや〉の看板に遭遇。土間には醤油のボトルが置かれています。
店構えではないので、恐る恐る声をかけてみると、代表の加藤剛さんが快く対応してくれました。なんと創業は1700年代。加藤さんで10代目の醤油店でした。今でも江戸時代の土蔵を使っており「蔵付きの菌を使った、天然発酵がこだわりです」と加藤さん。
飯寿司について聞くと「大好きですよ。米麹が好きですから」と。さらに、塩引き鮭について聞くと「毎年10本くらい手づくりしています」との答えが返ってきました。村上の食文化を担う人たちの、この地の宝を守ろうとする思いの強さをここでも実感しました。
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町屋造りの酒屋で2つの地酒を
村上の発酵食を訪ねる旅の締めくくりは、飯寿司にも塩引き鮭にも合い、酒びたしにかける日本酒。大町にある鮭料理の製造販売店〈千年鮭きっかわ〉の本家にあたる、肴町の〈吉川(きっかわ)酒舗〉へ。
1826(文政9)年創業の酒屋で、天窓、箱階段、仏壇の上にある神棚など、町屋づくりのすべての特徴を見てとれる店内は、その空間にいるだけで歴史の重みを感じ、満ち足りた気持ちになります。
ここでは村上にあるふたつの酒蔵、〈〆張鶴〉で知られる〈宮尾酒造〉と〈大洋盛〉などを醸す〈大洋酒造〉の商品のみを販売しています。
2021年春、〈大洋酒造〉の〈紫雲〉同様、地元村上だけで販売する新ブランド〈お城山〉を発売した〈宮尾酒造〉。あっという間に売り切れたとのことですが、地元を大切にする、地元に来て飲んでもらいたいという酒蔵の思いが伝わってきます。来年の春が待ち遠しいですね。
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飯寿司を目的に訪れた村上の地には、ほかにもすばらしい発酵食が存在していました。そして、発酵食も含めた伝統文化を支える人たちの思いが、旅人にもそれを味わってほしいという城下町の「おもてなし」につながっているのだと、気づきました。
credit text&photo:『新潟発R』編集部