速さや高さ、危険さや華麗さなどの過激な離れ業を競うスポーツの総称、エクストリームスポーツ。その祭典として知られる「X Games」のBMXフラットランドで、新潟勢の活躍に世界から注目が集まっています。
2022年4月に国内初開催となった「X Games Chiba 2022」では、新潟県長岡市出身の早川起生(はやかわ・きお)選手(当時20歳)が世界の強豪を抑えて優勝。2023年5月の「X Games Chiba 2023」では、同じく長岡市出身の片桐 悠(かたぎり・ゆう)選手(18歳)が優勝しました。新潟から世界に誇るBMXライダーが誕生した背景には何があるのか、お話をうかがいました。
BMXフラットランドとは?
BMX(ビーエムエックス)とはBicycle Motocross(バイシクルモトクロス)の略で、基本的には競技に特化した小さめのホイールとリアブレーキ(後輪ブレーキ)のみが搭載された自転車のこと。このシンプルな構造の自転車を使い、レースやフリースタイル種目でスピードや技を競い合うのがBMX競技です。
競技には大きく分けてふたつあり、タイムを競う「レース」と、技の難易度やオリジナリティを競う「フリースタイル」。フリースタイルにも3種目あり、道路や階段などまちなかの設備を使った技で競い合うのが「ストリート」、専用施設でダイナミックなジャンプや回転技を繰り広げるのが「パーク」、そして、平らな地面の上で技を競い合うのが、早川選手、片桐選手が活躍する「フラットランド」です。
フラットランドは、BMXに乗ったまま回転技などの難易度や完成度を競い合う競技であり、地面に足をつけずに、技を次々と披露していきます。高いバランス感覚とバイクコントロール力が求められ、「BMXのフィギュアスケート」とも呼ばれています。
ではなぜ、BMXフラットランドで新潟勢の選手が活躍しているのか。選手たちの接点を探っていくと、長岡市内にあるBMXショップ〈GLOW〉の存在が見えてきました。
けん引する新潟勢の強さのルーツ
GLOWは、片桐選手の父親が2001年に開いた、BMXを中心に扱うバイクショップ。もともと別の自転車店で働いていたそうですが、自身がBMXの魅力にハマったことから、独立して開業したといいます。
「父の影響により、4歳でBMXレースを始めました」と話すのは、同じくBMXライダーで、これまで各種大会で優勝してきた成績を持つ兄の片桐亮選手(以下、亮選手)。レースはコースに通うのが大変だったこともあり、12歳のときに、手軽に始められるBMXフラットランドに転向します。その1年後に、5歳下の弟である片桐悠選手(以下、悠選手)と、市内に住んでいた1歳下の早川選手がフラットランドを始めます。亮選手が、ふたりにとって身近な指導者になっていきました。
「僕自身も、父や、父の知人である新潟在住のベテランライダー、GLOWのお客さんからさまざまな技術を教わってきました。同世代のライダーがいなかったからこそ、10歳以上、年上の大人たちが僕にたくさんの技を伝授してくれ、そのなかから厳選したテクニックをふたりに教えることができたんです」(亮選手)
7歳でBMXフラットランドを始めた悠選手は、2年後に初出場した全国大会のキッズ部門で準優勝し、いきなり頭角を現しました。「本番にめっぽう強くて、練習で失敗続きの技も、本番の舞台で成功させる」と弟を評価する亮選手。実際に、2022年の国際大会「キメラ エーサイド・ザ・ファイナル」では、悠選手が生み出した最高難度の技「フルフリップ」を成功させ、優勝を勝ち取っています。
「フルフリップは、車体を投げて体から離し、回転させてキャッチするという大技。誰もやっていなかったので、『世界で最初にできるようになりたい』と練習をしていたらできるようになったんです。練習では5回に1回くらいの頻度でしか成功できないんですが、BMXフラットランドの大会で評価されるのは『難易度』と『オリジナリティ』。国際大会で優勝するにはやるしかないと覚悟を決めて、完璧に決めることができました」(悠選手)
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