初めてのひとり旅が粟島でした
周囲23キロ、島民約360人という小さな島、粟島。ここに単身で移住し、ゲストハウスを開いた女性がいると、お話を聞きに来ました。さぞパワフルで、個性的な方だろうと思っていたら、まあるい笑顔が印象的な、やわらかい雰囲気をまとった方でした。いい意味で全然「島の人」らしくないのです。
ゲストハウス〈おむすびのいえ〉のオーナー青柳花子さんは「そうですか?」といって、ケラケラとよく笑います。そのたびに“たまツヤ肌”がきらりと光りました。
このままの自分で大丈夫か、いつも不安でした
「粟島への移住を決意したのはひとり旅で訪れたときです」
青柳さんは新潟市出身。保育士の資格を取り、幼少より憧れだった幼稚園の先生になったそうです。夢を叶えたはずなのに、心の中ではいつも焦りを感じていたといいます。
「とにかく誰かと比べてしまいがちで、いつも“自分、大丈夫か”って不安でした。だからといってこれといってやりたいことがあったわけでも、職場に不満があったわけでもありません。でも、ただ、漠然とした焦りに追われていました」
転機も突然訪れました。ひとり旅をしてみようと思い立ったのです。その理由は旅が好きだったからではなく、やったことがないことをやってみよう、というものでした。
「どうせなら行ったことがない島旅にしようと粟島に来ました。6月に2泊3日の旅です。とにかく小さな島らしいという情報だけで、行き方を調べ、民宿の予約だけをして来ました」
友だちとの旅行すらそれほど経験があったわけではない青柳さん。相談する相手もいなければ情報も少ない離島旅では戸惑うことが多かったといいます。でもそれが、逆に粟島の居心地の良さを感じられるエピソードになっていきます。
「本当に初めての旅だったので、民宿のシステムもわからず、お風呂や食事、外出も、いつしたらいいのかわからないくらいです(笑)。でもその日、いただいたごはんがとてもおいしかったんです。わたしも若い女の子だったので、いつも体型を気にして食事を制御するようにしていました。でも、その民宿で食べたご飯は、本当においしくて、“こんなにおいしいんだから、悪いことなんてない”って、それまで漠然と持ちつづけていた罪悪感から解放されたんです」
青柳さんの初めてのひとり旅は、まるで上級者の旅人そのものです。
「翌日はとりあえず島を1周歩きました。7時間くらいかかったでしょうか(笑)。昼食は反対側の釜谷集落で食べようと思っていたのですが、どこもやってなくて、結局なにも食べずにそのまま1周歩いてしまいました」
普通ならつらい思い出になりそうですが、不思議と楽しかったと、青柳さんは笑います。
「たしかに大変だったんですけど、なにも考えず、自分のペースで黙々と歩いて気持ちがよかった。内浦に戻った頃、道を歩いていたおじいに話しかけられたんですね。なにしに来たんだー、観光かーって。島を1周歩いてきたといったらさすがに笑われました。そうしたら“それは今夜の夕飯はおいしいだろう、この島は“贅沢”な島だから楽しんでいけ”っていわれたんですよ。そのときのわたしには意味がわからなくて。コンビニはもちろんお店もないし、街灯もまばらな“なにもない島”のどこが“贅沢”なんだろうって思いながら宿に戻りました。その日の晩ごはんはたしかにとてもおいしかったです」
移住のことなんてまったく想定していなかった青柳さんの粟島旅行。もちろんなにか移住を決定づける事件や出会いがあったわけでもありません。でもなんとなく、帰りのフェリーの中ではここに住みたいと感じていていたそうです。
「新潟市の自宅に戻る頃には、暮らしたいっていう願いに変わっていったように思います。翌週に、テレビ番組が主催の『粟島クリーンアップ作戦』に参加するため、また島を訪ねました。昼食会場でスタッフをしていた女性が、偶然、島で保育士をやっている方でした。しかも離職するので、働ける人を探している、と聞きました。仕事があるなら暮らせると思ったんです。それで移住することを決意しました」