受け継がれるのは、踊りだけじゃない。25年続く〈響’〉の思い
「新潟下駄総踊り」からも垣間見えるように、新潟には、古くから「踊り」の文化が根づいています。
江戸時代、新潟では「新潟まつり」の前身となる祭礼などで、四日四晩にわたって踊りが繰り広げられていたといわれています。身分や立場を超えて人々が集まり、夜通し踊る。人々が踊りを通してつながる文化は、この土地に脈々と受け継がれてきました。
そんな踊りの歴史を持つ新潟で誕生したのが「にいがた総おどり」。舞台を支えるのは、2001年の発足以来、イベント運営にも携わるホストチームの〈響’〉です。
〈響’〉に受け継がれる踊りの文化

2002年に始まった「にいがた総おどり」。その立ち上げから関わり、現在まで〈響’〉の一員として活動してきたメンバーもいます。
レジェンドメンバーと呼ばれる須田峻介さんは、立ち上げ当時、秋田から進学のため新潟へ来たばかりの大学生でした。
「〈響’〉の立ち上げメンバーは、ほとんどが踊り未経験者。お祭りをつくりたいというのが始まりなので、もともとダンスをやりたい人たちではなかったんです。
自分たちがやりたいお祭りを、どうすれば多くの人に知ってもらえるか。その結果、『踊りが一番伝わるよね』という結論にたどり着きました」

祭りを知ってもらうために始まった踊り。須田さんたちは、自らを「踊れる実行委員会」と呼びます。
そうして踊り始めるなかで、少しずつ仲間が増え、やがて〈響’〉というチームが生まれました。現在では、新潟県内各支部に加え、東京でもメンバーが活動しています。
立ち上げ当時、須田さんの心に強く響いた言葉がありました。当時の女性リーダーだった同級生から、片づけをしながらかけられたひと言です。
「『〈響’〉は、いつだって謙虚でいなきゃダメだよ』。その言葉が、自分のなかでずっと残っていて。25年間、忘れず大切にしています」
彼女自身も、高校卒業後に予定していた四国でのダンス修業を半年遅らせ、祭りの立ち上げに参加したといいます。
「自分の時間を誰かのために使う」。その優しさが次の人へと渡り、チームは少しずつかたちをつくってきました。

そして25年。受け継がれてきたのが、「次の世代の子どもたちに感動のある祭りを残す」という思いです。
かつて須田さんたちが「次の世代」と呼んでいた若者たちは、今では20代、30代となり、祭りの中心を担う存在になりました。

25年前に生まれた思いは、世代を超えて着実に受け継がれています。そして今、その輪のなかで踊っているのは、当時まだ生まれていなかった若者たちです。
この人たちと踊りたい! 今、〈響’〉に集まる若者たち

新潟大学3年の山本愛紗さんは、大学入学をきっかけに〈響’〉へ入団。もともと、よさこいを経験していたこともあり、大学の先輩に誘われて練習を見学しました。
「見に来たら人がいっぱいいるし、すごい踊りをされていて! 圧倒されました。見学のあと、すぐに入っちゃいました」
一方、新潟医療福祉大学4年の竹内聡花さんは、大学2年からよさこいチーム〈舞桃会〉で活動。その後、〈響’〉が主催するワークショップに参加するなかで、メンバーの姿に惹かれていったといいます。

「踊りに火をつけてくれる皆さんに憧れて。こっちまで仲間に引き入れてくれる感じが〈響’〉にはあります」
憧れのチームに入ったふたりが口をそろえて語るのが、〈響’〉特有の人の温かさです。
25年踊り続けてきた人も、入ったばかりの若手も、“横一列”でがんばる。悩んでいるときには、言葉にしなくても誰かが気づいて声をかけてくれる。そして、何かに挑戦するときには、先輩たちが背中を押してくれます。

「私は前に出るのがあまり得意じゃないんです。でも、先輩たちが『とりあえずやってみな』って言ってくれる。フォローするから、大丈夫と。だから、やってみようと思えるんです」と山本さん。
竹内さんにとっての〈響’〉は、「安心して本気で挑戦できる場所」。「いろんな人がギラギラしていて、常に前へと進もうとしている。ベテランも若手も全員が同じ思いだから、毎回の練習が本気。日常生活のなかで本気で挑戦し続けることなんてなかなかないので、120パーセントの力が出せる場所なんです」と話します。
技術で見せる踊り手もいれば、観客との目線やエネルギーで見せる踊り手もいる。それぞれの個性が重なり合うことで、若手ならではの表現が生まれていました。
ベテランが積み重ねてきたものと、若手が持つフレッシュな感性。その両方があるからこそ、〈響’〉は今も進化を続けています。

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続ける踊りの祭典 】

