新潟のつかいかた

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米と野菜と、動物と。
上越の山奥で、
再生可能な農業を実践する | Page 2 Posted | 2022/03/25

諦められなかった農業の夢

インタビュー中のエミリオさん

小さい頃から農業と動物が好きだった、エミリオさん。スペイン・グラナダの市街地で生まれ育ったものの、親戚が農園を営んでいたため、農業や動物に触れる機会は多かったそうです。

「将来は農家になりたい」と思っていたエミリオさんですが、祖父母の大変さを見ていた母親から反対され、プログラマーの道へ。ほかにもいくつか職を経験しましたが、スペインで農業を生業とすることはありませんでした。

そんな生活を続けながら日本人のパートナーと結婚。ふたりの子どもを連れて長距離移動ができるようになったタイミングで日本へ移住しました。「再生可能な農業を実践したい」という思いを捨てきれないエミリオさんは、パートナーの実家がある愛知県の飲食店で働きながら、それを実践する場所や方法を模索。テレビで地域おこし協力隊の存在を知り、当時、唯一農業系の仕事を募集していた上越市の柿崎地区の求人を見つけたそうです。

「1回目はひとりで、2回目は家族と、3回目は面接で来たんだけど、みんなすごくやさしくしてくれて。初めて来たときは、『スペインの田舎と似ているな』と思ったよ」と当初から柿崎地区に親近感を抱いていました。

農業の知識と地域の人との関係性を育んだ3年間

エミリオさんが住む古民家
エミリオさんが協力隊就任時から住んでいる、築200年以上の古民家。

柿崎の人や環境、古民家を気に入ったエミリオさんは、2016年から地域おこし協力隊として就任。田植えから稲刈り、草刈り、畑作業、牛舎の手伝い、猪の解体、伐採作業など、地域の人手として何でも対応するようになりました。

一面雪の中でインタビュー

「協力隊の3年間は、農業の勉強と地域の人との関係性づくりを意識して活動していました。農家さんがどのように米を育て、野菜を育てているかを知ることができたし、独立後に牛のフンやおが屑をくれる事業者ともつながることができた。地域で出た有機物で堆肥をつくり、肥料にすることは当初から頭にあったからね。でも、年配の人とばかり話しているから、身につく日本語が昔の言葉で。“今の人はそんな言葉使わない”と妻から指摘をされたこともあるよ(笑)」

初めて本格的に農業を実践しながら学んだエミリオさん。祭りの準備や地域の人と道を整備する道普請(みちぶしん)など、集落としての活動にも積極的に参加し、少しずつ人とのつながりを深めていきました。

カゴに入ったニワトリの卵

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