長岡市で目覚めたストリートカルチャーへの思い
当サイト『新潟のつかいかた』で実施中の「Twitterフォロー&リツイートキャンペーン」のアンバサダーを務めている〈Creepy Nuts〉のDJ松永さんは、生まれてから21歳で上京するまでを、新潟県長岡市で過ごしました。DJの世界大会で優勝し、今ではテレビやラジオなどでも大活躍の彼が、ヒップホップというストリートカルチャーに目覚め、DJを目指し、生業としていこうと決意。そのすべてが長岡の地で起こったことでした。
「子どもの頃は絵を描いたり、中学生ではサッカー部に入ったりしたんですが、中学2年生でいわゆるストリートカルチャーにハマりました。まずはファッションから。雑誌に登場するようなショップ店員に憧れ、長岡にあるセレクトショップや古着屋さんに通っていました。そのショップバッグに体操着を入れて学校に行ったりもしてね(笑)」
ストリートカルチャーとは、スケートボードやヒップホップなど、若者の遊びから自然発生的に生まれてきた文化。その魅力に松永さんは強く惹かれていきました。日々の暮らしもそれに染まっていきます。
「お金はないので買えないけど〈たつまき堂〉や〈REPOSE〉、〈DIGRAG〉といった長岡のショップに行って、ストリートカルチャーの空気を摂取した気分になって、その後に本屋に行って『オーリー』や『サムライマガジン』などのストリートファッション誌を立ち読み。“この人がかっこいい、かっこ悪い”なんて勝手に管巻いてましたね(笑)。そのあと〈原信カフェ〉に行ってダラダラと音楽とかファッションとか、ストリートカルチャーを友だちと語り合う。そんな1日をよく過ごしていましたね」
原信“カフェ”とはいうものの、新潟を中心に展開するスーパーマーケットのイートインスペースのこと。お金を使わなくても、まちで楽しむ。全国の普通の中学生と変わらない“松永少年”の姿がありました。
そのなかでも、特にヒップホップにはまっていきます。高校2年生のとき、アルバイトで貯めたお金で、DJ用のターンテーブルセットを購入。しかし、通販で探して見つけた安いものをなんとなく買っただけで、当時は「決意なんてなかった」と言います。
「DJになろうとまでは思っていませんでしたが、触り始めたら必要以上にのめり込んでしまって。楽しいからやりたい、やりたいから学校に行っている時間がもったいない、それなら学校を辞めようと、極端なんですが(笑)、高校2年生で中退してしまいました」
DJだけをやるために、部屋にあったほかの娯楽をすべて捨ててしまったという没入っぷり。ここ一番の集中力は、このときからあったのかもしれません。
初めての現場でのDJデビューは、長岡の〈ライブハウス音楽色堂〉。まだフロアにお客さんが数人しかいない一番手で登場し、「練習していったテクニックが全然うまくいかなかった」と当時の悔しさを振り返ります。まさか数年後にそのDJテクニックで世界一まで上り詰めようとは、誰も思わなかったことでしょう。
ちなみに初DJの1曲目に〈ランプアイ〉の『証言』をかけ、次に〈ブッダブランド〉の『人間発電所』につなぐという、ジャパニーズヒップホップの名曲で勝負した「DJ松永、初めてのセットリスト」を、ファンのためにここに記しておきます。