新潟のつかいかた

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お米は日本一、DJは世界一!
南魚沼の米&スイカ農家
〈こまがた農園〉駒形宏伸 Posted | 2022/07/01

「ずっと逃げていた農業に向き合った」

好きになったらとことんまで追求してしまう農家がいます。新潟県南魚沼市の農家、〈こまがた農園〉の駒形宏伸さんです。2020年にはお米の日本一を決める大会〈第17回お米日本一コンテスト in しずおか〉で最高金賞を受賞し、日本一の米農家になりました。お米以外にも、地域の特産である八色(やいろ)スイカへのこだわりも強く持っています。

駒形宏伸さん
DJ CO-MAこと、駒形宏伸さん。

さらに、農家になる前からDJ CO-MA名義でDJをしていて、なんと世界最大のDJ大会〈DMC WORLD DJ CHAMPIONSHIPS 2006〉で優勝した経歴を持ちます。DJテクニックへの追求もハンパではありません。
実はCreepy NutsのDJ松永さんの師匠でもあります(詳しくはコチラ)。

こうした異色の経歴を持つ駒形さんは、1777年から続く米農家の10代目。しかしきちんと農業に向き合ったのは30歳を過ぎていたといいます。

田植え機に乗る駒形さん
田植え機に乗って、田んぼに登場。

「農家を継ぐのがイヤで、“逃げ”として公務員試験や消防士、警察官などの試験を受けていました。やりたい仕事というわけではなかったのですが、そういう“しっかりした”仕事なら親も文句は言ってこないだろうと思ったんです。消防士なら2日行って2日休みなのでDJの練習ができるなとか、警察官で駐在所勤務になれば、裏の部屋でいつでもDJの練習できるなとか。当時は本当にDJのことしか頭になかった。そんな浅はかな奴が受かるわけもありませんよね」

しかし生活はあるし、なによりレコードを買わなければなりません。しょうがなく実家の農家を手伝い始めたようです。

自宅のDJ部屋
自宅のDJ部屋。コンパクトだが、機能的にまとまっている。

転機が訪れたのは2011年頃。優勝後も継続して挑戦を続けていたDJ大会も、なかなか思うような成績が残せなくなってきました。その頃に結婚をし、同じタイミングで、弟子であるDJ松永さんから「東京に出てDJとして生きていく」という報告を受けます。それに対して、「俺も一旗あげてやる!」という気持ちが湧かなかったといいます。

何かモヤモヤした気持ちを救ったのは、何より目の前にあった農業でした。

「それまでは親父に言われたことをただこなすだけだったのですが、明らかに気持ちは変わりましたね。自分からいろいろと覚えようとしました」

希少な八色スイカとは?

父から最初に覚えろと言われたのはスイカでした。南魚沼市の特産である〈八色スイカ〉は、「富士光TR」という品種で、駒形さんが住む旧・大和地区が発祥とされています。ほかのスイカと比べると、やわらかく、独特の甘みと旨みが特徴。しかし、つくり手が多くなく収穫量が少ないため、県内と関東の一部にしか出回らない希少なスイカです。

まだ小さい八色スイカ
八色スイカの赤ちゃん。ここから大きく育っていく。

スイカは手間をかけた分だけ付加価値がつき、やりがいがあると駒形さんはいいます。そんなモチベーションを高めるできごとがありました。

「あるとき、それまで行ったこともなかったスイカ組合青年部の会合に出席してみたんです。ひと通りはスイカ栽培を経験しているので、それなりにわかっているつもりでしたが、青年部のみんなは、もっと高いレベルでスイカのことを理解していて。全然会話についていけず、悔しい思いをしました」

八色スイカの成育状況をチェックする駒形さん
スイカをひとつずつチェックして、いいものに目印を立てていく。

地域の特産物になるには、こだわりを持った農家同士が切磋琢磨する環境があるのかもしれません。八色スイカの産地でも、良きライバル関係による競争が行われていました。

ここから駒形さんも、スイカづくりを追求し始め、自分だけのオリジナリティあふれる育成方法を試していきます。

黄色いスイカの花
スイカの花。こまがた農園では、ミツバチによる受粉を行っている。

「若い世代は、父親世代ではやっていなかった最新の育て方を実践しています。僕は親父から教わったことしか知りませんでした。僕も最新の手法を試してみました。しかしあまりうまく育たなかったので、昔のやり方を織り交ぜてやってみたらうまくできたんです」

いろいろな情報と経験を組み合わせながら、実験していくこと。そうして、ここ数年はすごくいい八色スイカを収穫できているといいます。

田植え機を運転する駒形さん

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