お米でもコンテストでトップを取るための努力を欠かさない
こまがた農園も代替わりをし、駒形さんも米づくりにも携わるようになります。南魚沼市といえば、日本有数の米どころ。豪雪地帯特有のミネラルを多く含んだ雪解け水があり、昼夜の寒暖差が大きいことなど、この土地特有の自然条件がおいしいお米を育てます。
「自然環境を与えてもらっているので、普通につくってももちろんおいしいのですが、それにあぐらをかくことなく、さらにおいしいお米をつくりたい。そうなるとかなり奥が深いです」
お米という、日本人にとってもっとも身近にあふれる食材であるからこそ、ありがたみが薄くなっている消費者は多いのかもしれません。しかし駒形さんは、さらにお米の地位を高めるべく活動します。
「当初、コンテストにも出してみたんです。正直言って、南魚沼産ならば誰が出してもいい成績を取れると思っていたんですよ。でも、かすりもしなかった!」
それでまた悔しくなり、人に聞いたり、研究を重ねていきます。しかしお米は1年に1回しか生産できないので、悠長に構えていることもできません。
「例えば30年後に金賞を取ることを目指すよりも、早いうちに金賞をとって、そこからさらに先の世界にブラッシュアップしていきたい」
そこで駒形さんは、同じ南魚沼市の米農家で、金賞を受賞している〈関農園〉の関智晴さんに教えを請います。
「僕もまだ尖っていたので、有名人であるこの人には教わらないと思っていましたが、そうも言ってられないなと。それで智晴を酔わせて(笑)。それは半分冗談ですが、こっちもかなり本気だったので、向こうもその意気を汲んでくれたのだと思います」
こうしたライバルでありながらも、情報交換できる若い米農家仲間がいたことは、何よりの強みだったのかもしれません。
もちろんコンテストに出ていい評価を受けることだけが、必ずしも米農家の生きていく道ではありません。DJもそう。コンテストに出ない米農家やDJはたくさんいます。それでも駒形さんがコンテストに出続ける理由はなんでしょうか?
「モチベーションですね。お米という繊細なものを、第三者が評価してくれること」
駒形さんの場合、「コンテストに出て勝つ」という目標設定が、よりおいしいお米をつくりたいというモチベーションになっているようです。
「DJと米づくりの共通点でいえば、どれだけ好きになって突き詰めるか。好きになると意味を知りたくなるんですよね。なんでこういうことになるんだろうって」
DJと農家は、一見、正反対に思える職業ですが、駒形さんのように突き詰める集中力を持っていると、そこに差異はないようです。
駒形さんが栽培方法を熱く語ったり、実際に田植えやスイカの作業をしている様子を見ていると、かつてはきっとこんなふうにDJに夢中になっていたんだろうなと感じます。農業もDJも、追求していくこと自体を楽しんでいるようです。
駒形さんにとって、「農業への意欲が湧いた」という意味での“就農”は30歳を過ぎていました。決して早かったとはいえませんが、追求し楽しむ心があれば、何歳で農業を始めても遅くはないのかもしれません。