文・シライジュンイチ(ごはん同盟)
四方を海に囲まれた日本では、歳神様を迎えるために大晦日の晩に「年取り魚」として魚料理をいただく風習が各地にあります。特に鮭とブリは大型で豪華なのに加え、塩蔵による長期保存と長距離輸送が可能だったことから、「年取り魚」の定番としてなじみが深い魚です。
![水揚げされた鮭](https://img.howtoniigata.jp/2021/12/13122055/spot-kyodoshoku-004-photo1.jpg)
東日本では鮭が、西日本ではブリが「年取り魚」として供されることが多いですが、その境界線があるのが新潟県。不思議なことに本州を地質的にふたつに分ける糸魚川-静岡構造線と重なるそうです。
佐渡と糸魚川を除く新潟県の多くの地域で「年取り魚」といえば、鮭。信濃川や阿賀野川など日本海に注ぐ河川を数多く有する新潟では、秋になって川に戻ってくる鮭がとても身近な存在でした。
![水中を泳ぐ鮭](https://img.howtoniigata.jp/2021/12/13122056/spot-kyodoshoku-004-photo2.jpg)
なかでも鮭漁が最も盛んなのが、県の最北に位置する村上市。日本海に面し、三面川(みおもてがわ)が市の中心部を流れる村上市は、独自の鮭文化が発展してきた城下町です。
「鮭は捨てるところがない」と言われ、今も100種類以上のレシピが伝わっている村上の鮭料理について、〈千年鮭 きっかわ〉の吉川真嗣(きっかわ・しんじ)さんにお話をうかがいました。
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1000年前から続く村上と鮭の関係
![〈千年鮭 きっかわ〉の外観](https://img.howtoniigata.jp/2021/12/13122057/spot-kyodoshoku-004-photo3.jpg)
1626(寛永3)年に米問屋として創業し、江戸時代末期からは造り酒屋を営んできた〈千年鮭 きっかわ〉は、昭和30年代になり、村上から消えかけようとしていた鮭料理の伝統を後世につなぐために、鮭料理を製造販売する店として生まれ変わり現在に至ります。
店の奥にある土間の天井から吊り下げられているのは、鮭に塩をすりこみ、冬の寒風で干した「塩引き鮭(しおびきさけ)」です。
![土間の天井から吊り下げられたたくさんの鮭](https://img.howtoniigata.jp/2021/12/13122058/spot-kyodoshoku-004-photo4.jpg)
「村上の家庭では、古くから、その家ごとのこだわりを持って塩引き鮭をつくってきました。大晦日に向けて、どれだけおいしい塩引き鮭をつくることができるかが、その家の主人の腕の見せどころです。村上の方言で、鮭のことを『イヨボヤ』といいますが、『イヨ』も『ボヤ』も、どちらも『魚』という意味。つまり、『魚のなかの魚』と呼ぶくらい、村上にとって鮭は特別で大切な存在なんです」(吉川さん)
![吉川真嗣さん](https://img.howtoniigata.jp/2021/12/13122059/spot-kyodoshoku-004-photo5.jpg)
村上と鮭のつながりは古く、今から1000年以上も前の平安時代に、三面川でとれた鮭を朝廷に献上したという記録が『延喜式』いう文書に残っています。また、江戸時代には、鮭漁による収益が村上藩の貴重な財源となっていました。
「村上の鮭の歴史を知るなら、イヨボヤ会館にも立ち寄ったらいいですよ」と吉川さんから教えてもらったのは〈千年鮭 きっかわ〉から徒歩約15分、三面川のほとりにある〈イヨボヤ会館〉です。
![〈イヨボヤ会館〉の外観](https://img.howtoniigata.jp/2021/12/13122101/spot-kyodoshoku-004-photo6.jpg)
〈イヨボヤ会館〉とは、鮭の生態や三面川の鮭漁、村上の鮭文化などを紹介する施設。ここで村上の鮭を語るときに避けては通れない人物、青砥武平治(あおと・ぶへいじ)の存在を知ることができました。
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![塩引き鮭を使ったなれずし『飯寿司(いずし)』](https://img.howtoniigata.jp/2021/12/13122049/spot-kyodoshoku-004-next1.jpg)
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