新潟のつかいかた

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〈ごはん同盟〉がつなぐ、
ふるさとのレシピ
赤飯なのに赤くない、
長岡のソウルフード
「醤油赤飯」 Posted | 2021/03/12

文・シライジュンイチ(ごはん同盟)

新潟県のちょうどまん中に位置する長岡市は、新潟県第2の都市。米どころ・新潟のなかでも有数の穀倉地帯です。まちの中心部には日本で一番長い信濃川が流れ、その河川敷では、毎年8月に日本三大花火に数えられる夏の風物詩「長岡花火」が行われます。

その花火と同じくらい長岡市民の誇りとなっているのが、長岡を代表するソウルフードの「醤油赤飯」です。

醤油赤飯

赤飯といえば、お祝いごとに欠かせない、ささげや小豆で染めたピンク色のご飯を思い浮かべる方が多いと思います。ですが、長岡の赤飯といえば、茶色に染まった「醤油赤飯」。豆はささげではなく、少し粒の大きな金時豆。仕上げには黒ゴマではなく白ゴマを振っていただきます。

人によっては「それは赤飯じゃなくて、醤油おこわじゃない?」と思うことでしょう。いやいや、長岡ではこの茶色いおこわを「赤飯」と呼ぶのです。各家庭で日常的につくられるほか、長岡市内のスーパーでは、パックに詰められた醤油赤飯が毎日販売されています。

何を隠そう、〈ごはん同盟〉の試食係・シライジュンイチの実家があるのが、長岡市。「醤油赤飯」は、幼い頃から親しんできた故郷の味です。

でもどうして長岡の赤飯は茶色の「醤油赤飯」なのでしょうか? その秘密を探るべく、長岡の赤飯に詳しい〈江口だんご〉の江口太郎社長を訪ねました。

江口太郎社長
〈江口だんご〉入口

醤油赤飯が誕生したのは、長岡の醸造文化のおかげ

〈江口だんご〉は、明治35年創業の長岡市民に愛される餅菓子屋さんです。その本店があるのは、長岡駅から車で20分ほど離れたのどかな里山。周囲が田んぼに囲まれた広い敷地には、古民家を再生した店舗やカフェ、菓子工場が並び、醤油赤飯や笹団子、昔ながらのぼたもちなどを販売しています。

さっそくですが、江口さん、どうして長岡の赤飯は、醤油味なのでしょう?

「私たちのお店でも醤油赤飯を販売していますが、長岡の赤飯について、そのルーツの詳しいところは実はわからないんですよ。有力な説としては、その昔、長岡ではささげが採れず、茹で汁で色づけができなかったので、その代わりに醤油を使ったというもの。長岡は古くから醸造のまちで醤油づくりが盛んでしたからね」(江口社長)

インタビュー中のごはん同盟の二人

長岡市の摂田屋(せったや)地区は、昔から醸造文化が栄えた土地柄。現在も、醤油や味噌、日本酒の蔵が並び、まちを歩けば麹や発酵の香りがあちらこちらから漂ってきます。

「醤油味の赤飯が日常的に食べられているのは、長岡市とその周辺の地域だけ。新潟県全体でみればピンク色の赤飯が主流ですが、うちではつくっていません。長岡に根づいた郷土料理という意味も込めて、醤油赤飯に『長岡赤飯』という名前をつけて販売しています。長岡出身の方が結婚式の引き出物に使われることもあるんですよ」(江口社長)

販売されている『長岡赤飯』

私の実家ではピンク色の赤飯と醤油味の赤飯の両方をつくっていましたが、食卓にひんぱんに登場していたのは、醤油味の赤飯。長岡市民にとって「醤油赤飯」はハレの日はもとより日常食なんです。あの醤油の香ばしい香りが漂ってくるだけで、お腹が空いてくるんです。

蒸しあがった醤油赤飯

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醤油の香ばしい香り


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