新潟のつかいかた

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十日町市の女性起業家が
いまだから語れること。
〈妻有ビール〉髙木千歩さん×
〈women farmers japan〉佐藤可奈子さん Posted | 2026/02/06

移住した十日町市で農業に関する事業を興した、髙木千歩さんと佐藤可奈子さん。ともに単身女性の移住者がそれほど多くなかった頃から、地域と積極的に関わり、やがて独自のビジネスを立ち上げ、まちを盛り上げています。

そんなおふたりが、これまでの暮らしを振り返りながら、起業のターニングポイントになった出来事や、女性が活躍する場としてのまちの課題と展望について語り合いました。

女性ひとりの移住も起業も少なかった時代から

おふたりが十日町市に移住したのは、2011年。香川県出身の佐藤可奈子さんは、東京の大学在学中、十日町市の中越地震復興ボランティアに参加し、卒業後、移住して新規就農。サツマイモの生産から加工、販売を手がけながら、2021年に農業法人〈wofa(ウーファ)〉こと〈women farmers japan株式会社〉を仲間と設立し、女性農家の自立支援や農業の課題解決を目指しています。

両親が十日町市出身の髙木千歩さんは、東京都内の大手IT企業に就職後、東日本大震災がきっかけで地域おこし協力隊として移住。退任後、4人の共同経営者とレストランをオープンし、2017年には妻有ビール株式会社を設立。2018年からはクラフトビールの醸造とともに、ホップの栽培も行っています。

髙木千歩さん(以下、髙木) 私が地域おこし協力隊として、十日町市に移住したのが2011年10月なんですけど、可奈子さんとは移住者同士のつながりで、当時からみんなで集まって、飲んだりしていましたよね。

佐藤可奈子さん(以下、佐藤) 私が移住したのは2011年2月なので、いま思えば同じ年だったんですね。

髙木 あの頃からすると、お互いに違うことをやっているというか、遠くに来た感がありますね(笑)。

佐藤 たしかに。千歩さんは協力隊の頃、直売所に野菜をいっぱい運んでいた記憶があります。

ソファに座って対談する髙木千歩さんと佐藤可奈子さん
〈women farmers Japan〉の佐藤可奈子さん(左)と〈妻有ビール〉の髙木千歩(右)さん。

髙木 そうそう! 地域のみなさんが育てた野菜を市内の飲食店などに販売して、地産地消を推進する取り組みをお手伝いしていました。よもやビールをつくることになるとは思ってもいなかったので、予想外の着地になったのですが、その点、可奈子さんは農業とのつながりを保ちながら、活動の幅を広げてきましたよね。

佐藤 そうですね。最初の頃は、ほぼ田んぼと畑にいて農作業をしていました。農業は特に地域との関わりが密といえますが、移住当初に痛感したのは、みなさんの行動単位が「家族」であること。

たとえば、地域の会議や草刈り、飲み会など、家族で分担してやっていることを、単身世帯の場合は全部ひとりでやらなければいけないじゃないですか。朝も夜も予定がいっぱいで、へとへとになっていました(笑)。

髙木 私もまったく一緒。地域のみなさんにとっても、私たちのような女性の単身世帯って、それまでほぼ経験がなかったわけですよね。集落のことを決める会議には、基本的に一家のお父さんが出るものだけど、「髙木さんはひとり暮らしで女の人だけど、さてどうしよう?」みたいな(笑)。

いままでのやり方には当てはまらない人が、地域に入ってきたという戸惑いはみなさんもあったと思います。だけど私のあとにも、同じ地域に女性の移住者がいらっしゃったので、そういう意味では、何らかの役に立ったのかも。

それと十日町市全体でいうと、数年前までは女性の起業もなかなか見えにくかった気がします。それこそ可奈子さんのwofaや、私の〈妻有ビール株式会社〉など、最初は「点」だった女性の起業が、最近は「面」として見えるようになってきた気がして。十日町市が、起業を目指す女性を対象とした勉強会を催してくれたりなど、いいかたちに進んできているように思います。

対談中の髙木さん

大きな挫折を経験したから、たどり着けた場所

起業に至る過程、そして事業が動き出してから現在まで、乗り越えてきた苦労を挙げたらキリがないし、「大変なことは、過ぎてしまえば忘れるもの」とふたりは明るく笑い飛ばします。しかしながら佐藤さんは、一度は農業をやめようと思うほどの挫折も経験していました。

佐藤 2013年から干し芋づくりを始めました。最初は加工を他県の工場に委託していましたが、売り上げの増加に伴って、十日町市に加工所を建設しようと考え、それが最初の法人化のきっかけになりました。新卒の社員をひとり雇ったのですが、私自身も会社勤めをしたことがなかったので、会社がどんなものなのかまったくわからなくて。

いま思えば知識も経験もない私のやり方は、反発を生みやすかったのでしょう。建設予定地の住民に、1軒ずつ説明にあがって承認を得ていくんですけど、子どもも小さかったし、その間に畑の草はどんどん生えてくる。「子育てに専念しなさい」とか「農業なんかやめて、だんなの仕事を手伝ったほうがいいんじゃないか」など、いろいろなことを言われました。

実際、自分ひとりの体では足りない状態で、建設の了承を得て、国からの助成金も交付されたのに、着工直前になって反対運動が起きて、計画がひっくり返ってしまったんです。それで心も体も折れて、何のために農業をやっていたのかわからなくなってしまって……。

移住当初は、よそ者だからこそ地域のために働くことを第1ミッションとして、信頼関係を築こうとがんばっていました。だけどそれが裏目に出てしまったんですよね。コミュニケーション不足だったところもあると思います。

対談中の佐藤さん

髙木 それは大変だったね。

佐藤 そんな矢先、いまwofaを一緒にやっている女性農家の先輩が、「もう一度、一緒にやってみない?」と声をかけてくださったんです。

失敗した原因のひとつに、未熟なくせに「全部を自分でやらねばならぬ」と、大きなことに立ち向かおうとしていたことがあると思います。結局、家庭も仕事もしっちゃかめっちゃかになってしまったのですが、それ以来、チームで動くことを大事にしています。

地域で農業に従事したり、起業をするなかで、女性に対する偏見や解決すべき課題はたくさんあります。同じような経験や痛みを持つ女性当事者でチームをつくり、事業を通して自分たちで解決を目指すのが、wofaの母体です。いまはチームの土台がしっかりできて、支援できる女性も増えたからこそ、一段上がるためにさらに違うエネルギーを必要としている状況ですね。

クラフトビールの貯蔵タンクをチェックする髙木千歩さん

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