「ない」から自分でつくった、クラフトビール
髙木さんは地域おこし協力隊の任期が終わってから、4人の共同経営で飲食店を開業。その後、十日町市にはなかったクラフトビールを醸造する事業をスタートさせます。
髙木 飲食店を始めたのは、地域おこし協力隊で地産地消を推進する取り組みをしていたので、今度は野菜などを仕入れる側になって、レストランで提供して認知を広げられたらいいなと思ったから。
十日町市って実は飲食店激戦地で、調べたところ、当時は新潟市の人口に対する飲食店の割合よりも多かったんです。だから普通のことをやっても通用しないというか、既存のお店の方々にご迷惑をかけたくないという思いもあって、シカゴスタイルのピザを出すアメリカンダイニングにしました。これなら日本全国でもやっている人が少ないので、なんとか許していただけるかなと。
それともうひとつの柱が、国産クラフトビールでした。私は東京で働いていたとき、クラフトビールを飲み歩くのが大好きだったのですが、当時、十日町市でクラフトビールを出すお店が1軒もなくて。それが唯一残念なことだったので、自分でやろうと思ったんです。開店当初は地元のお客さんがメインだったので、大阪や北海道など遠くから仕入れたほうが喜んでもらえました。
そのうちだんだん、〈大地の芸術祭〉のおかげもあると思うのですが、外からのお客さんが増えてきて、「十日町のビールはないんですか?」と質問されることが多くなったんです。その都度、「まだないんですよね」と答えていたのですが、周りを見渡してもやりそうな人はいない。これは私がやるのかな……!? と勝手に思って、いろいろ調べ始めたのが最初のきっかけですね。
だけどビール醸造は、初期投資がレストランの開業とは桁違いであることがわかって、とてもじゃないけど無理だと判断して、いったんは諦めてしまいました。
佐藤 そこからどうやって実現にこぎつけたんですか?
髙木 奇跡みたいな話なんですけど、東京での会社員時代のつながりのある方々が資金援助をしてくださったのです。その方々は、退職後も私のことを気にかけてくれていて。
上京して一緒に食事をしているとき、レストラン事業の先にやりたいことがあるのかと聞かれて、「クラフトビールをつくることを考えたのですが、とてつもない金額がかかるので諦めました」って話をしたんです。そしたら、「ちゃんと事業計画書を書いてみなさい」という流れになって。
仕事に厳しく、情熱のある方だったので、これは手を抜けないと思い、あらためて細かく調べてみたところ、利益を出すのが簡単でない事業であることもわかりました。そして次に会ったとき、「おいそれと手を出してはいけないことが、よくわかりました」と率直に伝えました。
「もしこういうことが起きたときは、どうするんだ?」とさまざまな角度から質問をされ、壁打ちがひと通り終わると「じゃあやるか!」と言われたのです。私としては大変な事業であることが、計算上すでにわかっていたので、正直すぐには喜べなかったんですけど(笑)。

佐藤 これから始まることを考えると、そうですよね。
髙木 結局のところ、並大抵のことではないとわかってスタートしないと、後々苦労するということを前もって教えてくださったのだと思います。それからはもう、大きな荷物が背中に乗っているような気持ちでした(笑)。
佐藤 その気持ち、わかります(笑)。
髙木 お金を出してくださる方がいるってことは、前に進まないという選択肢がなくなることでもあるので。がむしゃらにやるしかないんですけど、振り返っても戻る道がないというプレッシャーは、ずっと感じていました。

自分の意志とは関係なく、風が吹くことがある
佐藤 私も農業をやめようと思っていたのに、先ほど話したように先輩親子が誘ってくれたり、干し芋のパッケージがアジアのデザイン賞を受賞したり。それを機に、一緒に芋をつくりたいと声をかけてくれる人が増えてきて、自分の意志とは違う方向に風が吹いて、ことが進んでいく感覚はありました。
先輩親子に、「自分たちの空き家を使ってレンタル加工所にしたいから、そこで一緒に干し芋づくりをしないか」と言われたとき、頓挫してしまった建設計画が彼女たちのお役に立てるのであれば、それだけやって自分の農業に蹴りをつけようという気持ちで、お手伝いしたんです。十日町市ビジネスコンテスト「トオコン」への挑戦も、そのひとつでした。
髙木 私もビールの事業を始めるときに、「トオコン」に応募しました。
佐藤 その事業をどうしていきたいか一緒に考えて、プレゼンのスライドや原稿をつくるお手伝いをさせていただき、最優秀賞を受賞しました。同じタイミングで農水省の方が十日町市に視察に来て、女性農家と意見交換をしたときに、補助金の制度を教えてもらったりして。どんどん物事が進んでいって、その過程で私も自分の失敗を昇華することができました。
というのも最初のプランでは、レンタル加工所を通してチャレンジしやすい環境をつくることを目指していたのですが、もっと根本的なことから見直すべきだと思い、女性農家さんのコミュニティで勉強会を始めたんですね。
小手先の経営とか商品開発、PR方法を学ぶのではなく、農家は起業と同じようなものなので、起業家としてのマインドセットを学ぶ会というか。「私は、何者として、何をなすのか?」に時間をかけてとことん向き合って、それを阻む壁は何なのか考えるんです。
たとえば「私なんてどうせ」と無意識に思い込んでいるのか、あるいは家族関係など自分ではコントロールできない障壁が存在するのか。それらを認識して、手放していくことにしっかり取り組んだおかげで、先輩親子がやりたいレンタル加工所と、私が委託加工で行ってきた干し芋事業をドッキングさせて、また一からやってみようと思えたのです。

髙木 自分も経験したからわかりますけど、そうやっていろんなタイミングや出会いが重なって、歯車がかみ合うことで進み始めるときってあるんですよね。


