Index この記事の目次
商売繁盛の神様として知られる「髙龍神社」
お昼ごはんを堪能したあとは、車で20分ほど移動し、商売繁盛の神様として全国から参拝者が訪れる「髙龍神社」へ。トンネルを抜けたところにある駐車場に車を停めて神社に向かいます。
神社に行く前に売店で神様へのお供物としてお酒とろうそく、生卵が入った「お参りセット」を購入。この神社に祀られているのは龍神様で、御使いは白蛇とされているので、蛇の好物である卵をお供えするそうです。
お供物を購入したらさっそく神社へ。すると待っていたのは、118段の石段でした。樺沢さんは毎年お正月にお参りに来ているようで軽やかに登っていきます。
この神社では、お参りをする人は本殿に入ることができます。ろうそくは入る前の指定場所に置いて明かりを灯して、生卵と日本酒は神前にお供えを。神社でお参りをしても本殿に入る機会は少ないので神聖な気持ちになりますね。
Information
中越地震の遺構が残る、
旧山古志村の木籠集落
お参りをして次に向かったのは、中越地震の遺構が残る旧山古志村の木籠(こごも)集落。中越地震とは2004年10月23日に新潟県中越地方で起きたマグニチュード6.8の地震のこと。当時、旧山古志村の村民は全村避難。木籠集落は、芋川の下流で起きた地滑りが川を堰き止め、集落ごと沈みました。
一時は仮設住宅に住んでいた旧山古志村の村民ですが、26世帯のうち10世帯は近くの高台へ集団移転し、その集落の隣接地に新設された交流施設〈郷見庵(さとみあん)〉では、地震の記録を展示したり、野菜の直売所や休憩処が設けられ、いまでは住民はもちろん、地域外の人たちと触れ合う憩いの場となっています。
Information
命がけの山越えを終わらせる。
住民が手掘りで掘った「中山隧道」
中越地震の爪痕の深さを感じたあとは、手掘りのトンネル「中山隧道(ずいどう)」へ。人が通れる手掘り隧道としては日本一の長さだといわれています。
中山隧道がある小松倉集落は、旧山古志村の最東端に位置し、かつて村民はどこへ行くにも峠を越えなければなりませんでした。特に冬の4メートル超えの積雪時には、医者を呼ぶことさえ命がけ。そこで村人たちは隧道を掘る決意をし、昭和8年から16年の歳月をかけ、ツルハシとスコップで掘り進めました。
「手掘り隧道で全国一長いのが中山隧道ですが、実は2番目と3番目に長い隧道も山古志と隣の小千谷市にあるんです」と樺沢さん。手掘りトンネルが多いのは、雪国だからこそ。隧道が至るところに残っていることに雪国の過酷さと「それでも何とかするんだ」という人々のたくましさを感じました。
Information
棚田と棚池、養鯉場が一望できる
〈にこにこひろば〉
次に向かったのが、棚田と錦鯉が泳ぐ棚池が一望できる見晴台。2本の大木が絵画の枠のような役割を果たし、春夏秋冬で異なる景色を見せてくれます。
見晴台の道路を挟んで反対側にあるのが、山古志にちなんだお土産や特産品、手づくり雑貨などが並ぶ〈にこにこひろば〉です。店内には錦鯉やアルパカを描いた手拭いやTシャツ、食器などが並んでいます。こちらでは、「かぐらなんばん」を使ったカレーやおにぎりなどの軽食メニューも。お米は店主家族が山古志の棚田で育てた自家産はざがけ米を使用しています。
Information