「だから新潟がいい!」という県民のアツいメッセージを紹介する『#新潟のコメジルシ』から『普段とは違う時間、体験が出来る古町』という記事に注目。この記事では新潟市古町エリアで楽しめる芸妓文化について、紹介しています。
JR新潟駅万代口から日本海へ向かって、車で10分ほどの場所にある新潟市古町。ここには、京都・祇園、東京・新橋と並ぶ芸妓のまち「古町花街(かがい)」があります。
新潟市は、江戸時代中頃から、北海道や大阪との物流を担う北前船や、旅人や商人が行き交う商いのまちとして栄えてきました。明治時代には日本一の人口を記録し、商業と文化が入り混じる日本海側の主要都市として成長します。
その頃から今日に至るまで、商いのまち・新潟を彩ってきた古町花街。そこに欠かせないのが、あらゆる客人をもてなし楽しませる「古町芸妓(ふるまちげいぎ)」の存在でした。
ここ古町には、花街と古町芸妓を“地域で守るべき文化”と捉え、芸妓の育成・養成を目的として設立された、日本初の芸妓育成派遣会社〈柳都(りゅうと)振興株式会社(以下、柳都振興)〉があります。人情あふれる会社の成り立ちや現在の古町芸妓について、支配人・棚橋幸さんにお話をうかがいました。
Profile 棚橋 幸(たなはし みゆき)
〈柳都振興〉支配人。かつては自身も柳都振興で活躍した古町芸妓。現在は、古町芸妓たちのお母さん役として面倒を見ながら芸妓文化の継承に取り組んでいる。
京都・祇園、東京・新橋と並ぶ花街、新潟・古町
古町花街の始まりは江戸時代中頃とされています。最盛期には推定400人の芸妓が活躍していましたが、花街特有のしきたりや芸事の難しさもあってか、年々継承する芸妓は減少し、1980年代には100人前後に。
「詳しい文献が少ない花柳界(かりゅうかい)なので、当時のことはお姐さん方(先輩芸妓)からの口承なのですが、江戸時代に書かれた文献には『新潟芸妓は江戸の芸妓にも引けを取らない芸達者で美人揃いである』とあったほど栄えた花街だったそうです。しかし、1980年代には一番若い芸妓で30代後半。その後も新しく芸妓を目指す女の子がひとりもいない状況で、芸妓の高齢化が懸念されるようになりました」
かつて京都の祇園、東京の新橋と並び称された新潟の古町花街は、そのなかでも品格が高く、おもてなしに長けた良い芸妓揃いだったそう。そうした花街が失われていくということは、新潟の旦那衆にとって、客人をもてなす大切な交流の機会が失われていくことでもあったのです。
「古町芸妓は、お客さま同士の仲を取り持つ重要な役割を果たしていました。そして、何よりも『新潟を心ゆくまで楽しんでもらい、新潟ならではのもてなしをする』という地域の温かさを持ち合わせていました。
老舗料亭でいただくおいしい食事や日本酒はもちろんのこと、自分たちの花街を誇り、楽しませたいという人情が根っこにあるんです。今も昔もお客さまに『また古町に来たい!』と思ってもらえることが第一です」
文化衰退の危機を救った旦那衆の人情
かつて古町芸妓たちはみな個人事業主で、それぞれが「置屋」に所属していました。置屋とは、芸妓たちの衣食住や、芸を磨くための稽古、料亭に芸妓を派遣する役割などを一手に担う場所。しかし、女性の社会進出によって職業の選択肢が増えたことで、新しく芸妓になりたい若者が減少していき、次の世代の芸妓を育てることが難しくなっていきました。
「新潟の産業界にとっても重要な交流の場を失うことになるのは大変だということで、旦那衆みんなで一緒に守っていこうと会社設立の流れになりました」
こうして、1987年12月に新潟の有力企業約80社が出資して、株式会社化されました。芸妓を社員として雇用し、新しい人材を育てていくことを目的として、当時の旦那衆や料亭らが中心となった〈柳都振興株式会社〉が誕生したのです。
芸妓を雇用するという全国初の試み、大成功……?
こうして「会社員芸妓」という仕組みができたことで、一般企業と同じように芸妓でも安定した収入を得られるようになりました。
また、会社の福利厚生として、芸妓の活動に必要なすべての費用(着物や化粧品、踊りや鳴り物のお稽古代など)を柳都振興が負担することで、より一層芸事と向き合えるようにもなりました。
しかし、これですべて解決とはいかなかったようで……。
「今でこそ、地元の小中学校で古町芸妓が踊りや鳴り物などの芸を披露させていただくことも増えましたが、設立当初は世間からの風当たりが強かったそうです。どうしても昔の印象から、芸妓は身分の低い職業で水商売と言われるようなこともあり、マスコミも当時の活動を取り上げなかったと聞いています」
品格やしきたりを重んじる花柳界の閉鎖的なイメージから、古町芸妓がまちの文化として広く捉えられるようになったのは、会社設立から約10年経った頃。
「より多くの人に親しみやすくお座敷を気軽に体験していただくため、料金体系や芸妓の手配方法などの仕組みを、ホームページ等で簡単に見られるようにしました。芸妓たちも日々芸を磨いて、どんなお客さまも最高のおもてなしでお迎えすることで、少しずつ印象が変わってきて、新しい世代の芸妓が入ってくるようになったのです」
柳都振興は、これまでは公開されていなかった花代(芸妓派遣代)を芸妓ひとりにつき「1時間11550円〜」と明記するように。これにそれぞれの料亭での飲食代が加算されるという明瞭なものになりました。
「最近は、高校卒業と同時に古町で芸妓になりたいと、年に1〜2名ほどの女の子が柳都振興を訪ねてくれるようになりました。現在は合わせて12名の芸妓が柳都振興に在籍していて、年上芸妓や花街のお姐さん方、旦那衆をはじめ古町全体で若い芸妓を育てています。
今では、以前の花街のように芸妓が個人事業主として独り立ちするという流れも生まれています。より多くの子たちが独立してくれるのが柳都振興の一番の望みですから、若手の育成は古町花街の未来にとって本当に大切なことなんです」
歴史や文化は、一度失ってしまえば簡単には取り戻せないもの。特に文献や資料の少ない花柳界ではなおさらです。新潟古町では、こうした文化の担い手たちが一丸となれたからこそ、地域全体でまちの誇りである花街を守り育てるという、日本に類のない取り組みが生まれたのです。
料亭で芸妓のもてなしを体験しよう!
最近では、女子会やちょっとした昼の食事会で古町芸妓を利用したいという依頼も増えているそう。ここからは、古町花街を気軽に楽しめる方法をご紹介します。
古町では、花街の料亭の中から行きたい店を選び、電話予約の際に予算と「芸妓さんを呼びたい」ということを伝えると、料亭側が芸妓を手配してくれます。芸妓の踊りやお座敷遊びはもちろん、懐石料理も楽しむことができます。指名料はなく、「食事会の冒頭1時間だけ、場を盛り上げに来てほしい!」なんて依頼もOKなんだとか。
一見さんでも気軽に楽しめる「スタンド割烹」
もっとカジュアルに芸妓との会話を楽しみたい場合には「スタンド割烹」というジャンルのお店がおすすめ。ここではふたつの店舗を紹介します。
お座敷はないため踊りを観ることはできませんが、食事を1皿ずつ注文できる気軽さが魅力。ふらっと店に入って、女将さんに「芸妓さんを呼びたい」と伝えてみましょう。当日でも空いている芸妓がいれば手配してくれ、隣に座って会話をしたり、お酌をしてもらうこともできます。
スタンド割烹〈やひこ〉
1階はスタンド割烹、2階はお座敷のある、昭和13年創業の老舗料亭。四季折々の食材や郷土料理が楽しめます。
Information
スタンド割烹〈茶はん〉
料亭〈割烹金辰〉の姉妹店としてオープン。リーズナブルに日本料理をいただけます。
Information
同世代に古町花街を知ってほしい!(古町芸妓・ふみ嘉さん)
さらに気軽に芸妓とお話するなら、古町の〈柳都カフェ〉へ。芸妓が日中、稽古の合間に喫茶店スタッフとして接客しているお店なので、白塗りでない芸妓の貴重な姿を見ることができます(現在の店舗は移転のため2023年3月末で休業。2023年夏には古町で再オープン予定)。
「カフェでは抹茶や新潟の和菓子をお出ししています。ここには私と同年代の女性のお客さまも来てくださるので、お座敷よりも近い感覚でお話ができてうれしいです。カフェをきっかけに、若いお客さまがお座敷に興味を持つきっかけになったら」と古町芸妓・ふみ嘉さん。
新潟ならではの文化に触れたくなったら、古町で活躍する芸妓を呼んでみてはいかがでしょうか。脈々と続く新潟の歴史をきっと楽しく教えてくれることでしょう。今後も受け継がれていく古町芸妓の活躍に、これからも目が離せません。
この記事のネタ元は、新潟県新潟市出身の田宮翔さん。
「だから新潟がいい!」という県民のアツいメッセージを紹介する『#新潟のコメジルシ』から『普段とは違う時間、体験が出来る古町』という記事に注目しました。
Profile ふみ嘉(ふみか)
新潟市出身。柳都振興株式会社に所属。幼い頃から神楽を習っており、踊ることを職業にしたかったため高校卒業後に柳都振興へ入社し、現在3年目。
credit text:金澤李花子